2014年4月1日火曜日

本当は教えたくない!高尾の別天地カフェ『TOUMAI』

カフェめぐりが好きだ。

コーヒーが美味しい店、店主のこだわりが空間いっぱいに広がる店、ロケーションのいい店・・・など、カフェによってウリはさまざまあるのだが、私が好きなカフェは断然“居心地の良い店”だ。

もちろん、カフェとは本来憩う場所なのだが、暴れ盛りのちび(3歳)連れともなると話は別。
カフェでのんびりしたいと行ったはいいが、気を遣ってかえって疲れたというのは、子連れあるある。
そんな事態は避けたいので、場所を選ぶのだ。

そういう難条件のなか、ちび連れでもわざわざ行きたいカフェがある。
しかも、新宿駅から電車で約1時間の高尾に。
さらに、高尾駅から約15分ほど歩くというのに。
それが今回紹介する、ヒミツにしておきたいとっておきのカフェ『TOUMAI(トゥーマイ)』だ。




『TOUMAI』に訪れたのは某雑誌の取材がきっかけだった。
オーナーはフォトエッセイストの白川由紀さん。

白川さんは、独身時代、ユーラシア大陸を取材しながら3回も横断した経験を持つ、ものすごい行動力の持ち主だ。
海外で得た経験をもとに、帰国後何かをやらずにいられなかった白川さんは、自宅を3年間かけてリノベーションし、カフェを作り上げた。
もちろん建築の知識があったわけではない。
自力でひとつひとつ勉強しながら。

そんな白川さんが作り上げた空間は、なんとも心地が良い。
都会で疲れた心身がほぐされ、自然とのびやかな気分になるのが不思議だ。
そして、そんな心地はちびにも伝染するのか、ちびもお気に入りの場所だ。




自宅を改装した一軒家カフェだから、広~いお庭がある。
これがまた、開放的な気分にさせてくれる。
高台に位置するので周囲に高い建物もなく、空が大きい!
スーッと吹き抜ける風や、おもわずごろりと寝転がりたくなる衝動にかられる芝生もたまらない。
自然を肌で感じられるのは都心のカフェではなかなかない。
高尾ならではの良さがある。



ところでカフェには、白川さんが海外で出合った生活民具や小物があちこちに飾られているのだが、ぼんやり眺めるのもお楽しみ。
それらは個性的なのに主張せず、あくまでさりげな~く空間に馴染んでいる。


入口のドアノブ


象だけど、耳にはトカゲみたいな生き物が!?



ストーリーを感じさせる窓際


よくよく見たら、お庭にもかわいこちゃん達がいました!




まだ見ぬ世界に思いを馳せ、非日常へトリップできるのも、このカフェのいいところだ。

もちろん、スパイスにこだわったTOUMAIチキンカレーや野菜たっぷりのキッシュをはじめとする料理も絶品!
世界のビールも味わえますよ♪



そうそう、店名の「TOUMAI」とは、チャド語で“生命の希望”という意味。
訪れる人がたくさんの希望を持って帰れますように、という願いを込めて付けられたそう。
都会の空気に疲れたら、ぜひ訪れてほしい場所なのです。

DATE
TOUMAI(トゥーマイ)
八王子館町657
☎042-667-1424
http://cafetoumai.com/

(香取麻衣子/teamまめ)

2014年3月31日月曜日

三年経った東北へ。〜番外編:おいしいもの列伝10連発!〜

東北にはおいしいものがいっぱい。
そこで、気になったもの、うまかったものを、ずらずらっとご紹介します。

①ふかひれラーメン
実は食べてませんが、地元じゃ有名なだい久さんが目印。
コンビニなどでゲットできます!

②南部せんべいのこわれ煎餅
ごまとピーナッツの2つが入ってて、どちらもやめられない、とまらない!
酒のアテにもなる優れもの。
東京でも、スーパー「○友」で手に入ったことは、ここでは言うまい。

③地酒
地酒王国の宮城には、きりこラベルの粋なものも。
もちろん、味もうまい!

④かきかまぼこ
宮城名物のかまぼこに、かきやらふかひれやらが入った贅沢味。

⑤わかめ
早春の味といえば、ワカメ! 
この肉厚で風味いいワカメはごちそうで、食卓の主役を張れる!

⑥金華サバの漬け丼
石巻で水揚げされる金華山周辺でとれたサバのづけ!
温泉施設もある道の駅「上品(じょうぼん)の郷」にて

⑦油麩丼
南三陸の人々の仮設住宅がある登米(とめ)の名物。
親子丼の鶏が油麩になったものだが、これがうんまい!
市内各所で食べ比べてみるべし!

⑧油麩丼のバリエーションとして誕生した「油麩丼バーガー」。
バンズに米粉を使っていて、丼じゃないけど、
ちゃんと油麩丼のバーガーとして成立している。
キワモノと思いきや、まさかのうまさ!

⑨同じく油麩丼のバリエーション、おやき版。
小腹がすいたときに嬉しいボリューム♡
ちなみに油麩は登米だけで製造されている麩。
フランスパンのような形状で、煮物はもちろん、カナッペにも使える!

⑩締めはこちら。南相馬の道の駅をはじめ、各所でゲット可能。

まだまだ東北には素敵な味がある模様。また機会を見つけてご紹介します!

(佐藤さゆり/teamまめ)

2014年3月30日日曜日

三年経った東北へ。その4〜南相馬〜





福島県南相馬に、一年前、お話を聞かせて頂いた久米静香さんに会いに出かけた。

3月12日、即刻避難をした久米さん
手放せない一品。
久米さんの自宅は南相馬市小高地区にある。
 原発からドンという音とともにきのこ雲が吐き出されたのをその目で見て、原発20km圏内への立ち入り禁止により、とるものもとらず即刻避難をした。現在立ち入り禁止区域は変更になり、自宅の片付けができるようになっているが、今なお「宿泊禁止区域」だ。

「年末年始に2週間、特例宿泊が許されたんです。でもね、自分の家に宿泊するのに、車のナンバー、人数、名前を申請しないといけなかったんです」。

 昨年12月19日にようやく水道が出るようになったが、赤水や砂利まじりでとても煮炊きに使えるものではない。100軒ほどの集落のなかで、宿泊したのは久米さんを含めて2軒だけだった。猿やイノシシが住民が戻ってこない家を住処にし、人を怖がることもなく、自在に闊歩している。それでも、
「人はいなかったけれど、全然、怖くなかったんですよ」と、安堵感をにじませる。

 昨年4月から役場機能、消防、郵便、銀行、派出所が動きだし、今年4月からは診療所が再開予定となり、町への帰還のための一歩は動き出している。しかし、その実、町が置かれている現状は何も変わっていない。

 ゴミの“仮”置き場が決まった場所がある、とはいうものの、処理の目処どころか、置き場さえ決まっていない。津波のときのゴミがようやく人間の手で片付けられるようになってきた、その程度だ。

 それでも国は平成28年4月の住民の帰還を目指しているという。
「検査をしたら、放射線量は普通の人よりも多かったです。娘たちは戻らないと決めました。私も悩んで悩んで苦しかったんですが、国が暮らしていいよ、と言うので、ここで暮らします」。

 久米さんは帰還を決め、「どのくらいの人が戻ってくるかはわからないけれど、戻ってきた人々のよりどころになれば」と、NPO法人“浮舟の里”を立ち上げた。
「昔ここでは養蚕をやっていたんです。だから、蚕を飼って、糸を紡ぎ、機織りをして生計がたてられるようにしていきたい。機織り機は手に入れましたから」。
 悩み抜いた末に覚悟を決めた久米さんの声は明るく、元気だった。

蚕から糸を紡ぐ
プログラムをあれこれ企画中だ
(佐藤さゆり/teamまめ)

2014年3月29日土曜日

三年経った東北へ。その3 〜東松島・閖上〜


南三陸のあと、向かったのは東松島。
一年前にはまだ少し残っていた家屋跡がほとんどなくなり、整地がはじまっていました。


そして名取市閖上(ゆりあげ)へ。
ここも津波に飲み込まれてしまった町です。



 閖上名物といえば、震災前、港での朝市。
 震災後、仮設店舗で営業していたが、こちらも見事、港での復活を果たしていた。毎週日曜開催のゆりあげ港朝市では海鮮丼やら、天ぷらパン(!)やらが勢揃い♪

 そんななか、閖上日和山で出会ったのが、長沼俊幸さん。
 3年前のあの日、仕事先から自宅の様子を見に戻り、再び仕事に戻ろうとした矢先、津波がやってきたとのこと。急ぎ自宅2階に駆け上ったものの、家ごと流された。どんどんあがってくる水に追われて、屋根裏の窓から波に浮かぶ瓦礫を伝い、屋根の上へと這い上がると、目の前に信じられない光景が広がっていたという。そしてそのまま一昼夜漂流。夜になると屋根瓦は寒さと雪で凍り付き、体が張り付いて身動きできない状態だったそう。

 無事、翌日の夕方に救助にきたボートに助けられた長沼さんは、現在、仮設で暮らす。長沼さんの目下の願いは、住み暮らした閖上に戻りたいということ。
 ところが、それを阻むものがある。

九死に一生を得た長沼さんは、閖上愛が深い

震災前と後の様子がわかるパネル

 港付近の住宅地は、震災前“市街化区域”。内陸側に“市街化調整区域”がある。一般的には、市街化区域は“市街を形成している区域”。市街化調整区域は“市街化を抑制する区域”と言われている。
 津波ですべてが押し流されたのは、市街化区域だった。

「閖上の内陸部にある市街化調整区域に家を建てたいと思ったんです。別の地域から転入する人たちは家を建てていますしね。でも、津波ですべてがなくなった元・市街化区域の住民がそこに家を建てることは、なぜか許してもらえないんです。これからも閖上で暮らしたいと思っているし、早く生活を再建させたいんですが……」。

 市に陳情すれば、県の管轄だと言い、県に陳情に行けば、市の判断だと言われる。
「理不尽なことに、はまってしまった人たちが、たくさんいるんです」。

 再建を手助けしなければならない立場の人が、かえって前向きになった人々の壁となって立ちはだかっている現実が、ここにはあった。

(佐藤さゆり/teamまめ)

2014年3月27日木曜日

三年経った南三陸から南相馬へ。その2〜南三陸〜

 宮城県南三陸町は漁業の町だ。3月末まで出荷が続くふくよかな養殖カキに、しゃぶしゃぶしたらポン酢をかけるだけで肉厚で歯触りがたまらんワカメは今が最盛期。4年目に入る今年には、発祥の地ならではの味「銀鮭」やホヤの出荷も始まるそうだ。
これが採れたての南三陸ワカメ。
一度食べると、ワカメの旨味に驚愕する!
 風光明媚な景色を望む場所に民宿「下道荘」がある。志津川袖浜地区は、震災前まで10軒の民宿が立ち並び、豊かな海の恵を食べ、夏の海水浴でにぎわっていたという。しかし、8軒が被災。もう1軒は後継者がいないこともあって再開を断念し、高台移転を果たして営業を再開できたのはここだけだ。

 まだまだ仮設住宅に暮らす人が多い地区。それゆえに、住民たちの行動範囲は狭まり、以前のような気持ちの通じ合う仲を続けることが難しくなっていると、ご主人の菅原さんは嘆く。それでも「自立の準備段階に入ってきている気がするんです」と前を見据える。「カキもワカメもそろそろ終わりの時期ですけど、春は毛ガニ(ツクモガニ)が捕れて、これのミソがうまいんですよ」と、顔をほころばせた。
下道荘から望む志津川袖浜はため息もれる美しさ

「俺たち、若者の力でこれから千年続く祭りを作りたいんですよ」
と、頼もしい言葉を放つのは、31〜32才の若手主導の「ふっこう青年会」を立ち上げた工藤大樹さん。仲間や顔見知りが各地に散って暮らすなか「でっかい祭りや、楽しみな祭りがあれば、それをきっかけに町に顔を見せると思うんですよ」と期待に胸をふくらます。
 
 南三陸には小さな神社が点在し、神輿、山車、竜が踊りながら練り歩くなど、それぞれが独自の伝統芸能文化を育んでいた。「モノも人も失くしたけれど、年寄り衆に聞いたりしながら俺たちが覚えて、全部まとめたでっかい祭りができたらいいですよね」と笑う。
 
 でっかい祭りにはまだ至らないが、手始めに町のみんなが楽しめるイベントはすでに勢力的に行っている。「もともと復興市の手伝いからはじまったんですが、やっぱりお祭りは楽しいですから」と、ローションを塗ったボールで戦う“ぬるぬるドッチボール”や、最新歌謡曲で踊る盆踊りなどを企画・主催。イベントを通じて若手に活力が戻り、交流が増えた事で、長老衆も何かと協力してくれるようになったという。

「とりあえずやってみる。勉強もして、どんどんアイデアを出して議論して、行政にも関わっていきたいですね。新しい町が出来上がってしまう前に、町をちゃんと作っていきたいんです。これからを担う子どもたちのためにも」。

 まだまだ埋もれている若手を引き込みつつ、育成していくことで、町自体をも活性化させようと、工藤さんは意欲を燃やしている。


(佐藤さゆり/teamまめ)


2014年3月25日火曜日

三年経った南三陸から南相馬へ。その1〜南三陸〜

宮城県南三陸町は、身が柔らかく味がのっておいしい志津川タコをはじめ、海の幸が豊かで、のどかな漁師町だった場所だ。

未曾有の大地震と大津波からまるっと3年。
震災以降、ITで支援を続ける「ITで日本を元気に」による、恒例の東北沿岸部視察に同行して再訪してみると、瓦礫の撤去が終わり、盛り土が始まっていた。しかしまだ、だだっぴろい空き地のように茫漠な風景は広がっている。

でも。
線路だったところ(全部ではないけど)を今はバスが走って、
住民の足が復活。こちらはそのバス停。まるっこくてモダン。

仮説店舗の商店が軒を連ねる南三陸さんさん商店街では
モアイ像がお出迎え

伝統的な神棚飾りの「きりこ」で再現された南三陸の情景

歌津地区にある「伊里前 福幸商店街」は
色鮮やかな大漁旗がはためいて格好いい
さんさん商店街の隣にある『南三陸ポータルセンター
建物は組み立て式で移設可能なモデル建築。

「うちの町は人々を引きつける力のある町民がたくさんいるんです」
と、南三陸町観光協会の宮川さんの声は明るい。

 木の香に満ちた南三陸ポータルセンターには、さまざまなイベントのちらしが置かれている。レンタサイクル、語り部、アート工房などなど。モノづくりが好きな人、漁師さんたちなど、さまざまな得意分野をもつ地元住民がイベントの主役だ。

「情報は現場に落ちていますから」と、スタッフがどんどん町に出向き、さまざまな情報をひろい集め、イベントやワークショップを自力で企画し、発信。震災後、気力がでなかった人々のなかには、そんなイベントに参加するうち、観光で訪れる人々からは新たな刺激を受け、住民同士で交流を育み、生きがいを見いだした人もいるという。しかも、交流を重ねることで、新たな地域ネットワークも紡がれようとしている。

さらには、「これからは、公益性と収益事業に取り組みます」と、宮川さんは目を輝かせる。被災地だからこそ意義のある「防災キャンプ」など学びのツアーや、アート・漁業での独自商品の開発、そして今まで目を向けていなかった森林間伐材を資源としたビジネスも視野に入れているという。

“支援を必要とする被災地”から“自立した魅力ある町”へ。
南三陸町は、その一歩を確実に踏み出していた。

(佐藤さゆり/teamまめ)

2014年3月19日水曜日

記念撮影は「はい、マーメ!」


 teamまめ、だもんで、年から年中が気になる。
 ホーホケキョッ♪ うぐいすもうたう春到来で
 八百屋をのぞけば、グリーンの豆系野菜が色鮮やか〜〜。
 







春うららのフレッシュな豆もいいけれど、
豆といえば、やっぱりこちら。
乾物のでしょ!


 畑のお肉と呼ばれるほど栄養があって、保存が効いて、
 和食も洋食もエスニックもいろんな料理に使えて、
 普段のおかずにも、ごちそうにもなるという優れもんだ。
 20種類のお豆さんを、ざざざっと並べてみたが、
 白、黒、黄色、オレンジ、ツートンに、大きいの小さいの。
 色もカタチもなんとも芸術的だこと。
 大豆、金時豆、黒豆など子ども時代からおなじみの豆に加えて
 レンズもムングもパンダもひよこも。
 



  お豆さんが昔から暮らしにころがっていた証として
 まわりと見渡すと、豆が付くことばがいっぱいある。
「小さい」「かわいい」といった意味を込めて
  豆本、豆知識、豆電球、豆柴、豆絞り、、、。
 あるいは、「まじめ」「働きもの」を表現した
 筆まめ、まめな人、などなど。
 豆を食べたら、まめになれると言われて育ったが、
 ごめんなさい、まだまだ食べ足りません!
 
 ところで、送別会や歓迎会が多い3月。集いの最後によくある記念撮影、
 ちょっとでもいい顔をめざしてのかけ声は、「はい、チーズ」だ。
 が、ちょっと待って。チーズだと語尾の母音は「う」で口が尖ってしまう。
 「はい、ピース」もだめだめ〜。
 本来は「はい、キムチ」のように、母音は「い」がベストなんだけど
 豆好きとしておすすめしたいのは、
 「はい、マーメ!」
 母音は「え」だけれど、「マ」の次の「メ」って、
 ごく自然に、口角が上がりますぞ。
 さっそく今度の記念撮影でお試しマーメ。(←流行らせたい気持ち)

 というわけで、今週はお豆さんの話題をお届けします。

 
      ★お豆のサンプルは「豆とスパイスの店 楽天堂・豆料理クラブ」より。
   京都市上京区下立売通七本松西入東町364-14     http://www.rakutendo.com/


 (teamまめ 松井一恵)