2012年11月21日水曜日

ホントはよい人! 榎本ブヨウさん

戊辰戦争の“負け組”榎本武揚は、北海道小樽市では「ブヨウさん」と呼ばれ、人気者です。
と、これは前に、お話させていただきました。
 
教科書では知ることができない、ブヨウさんのすてきなエピソード。もっと知りたいな。というわけで、今度は東京で探してきました。
 
まずは、ご本人にちゃんとご挨拶をしなくては。

現在ブヨウさんは、文京区本駒込の吉祥寺でご家族とともに眠っています。

吉祥寺は、ドーンと迫力のある山門と、瓦を葺いた築地塀が目を引くお寺。近所には、目赤不動とよばれる南谷寺や、「一富士、二鷹、三茄子」で有名な駒込富士神社があります。
山門をくぐった先に、すっとのびる並木道。澄んだ空気に、身も心も清められた気分です。

ぐるっと歩くと、境内は意外と広い。いやはや、ブヨウさんのお墓を当てずっぽうで見つけるのはムリだな、と寺務所で聞いてみることにしました。
「エノモトタケアキさんのお墓はどちらですか?」
「エノモトブヨウさんのお墓は……」


あ、ブヨウさんって言った!
ブヨウさんを「ブヨウさん」とよぶ人に、悪い人はいない。多分、きっと。
かくして憧れのブヨウさんとご対面です。

 
大きなほうがブヨウさん。墓石には「海軍中将子爵榎本武揚墓」と刻まれています。
お隣りに寄り添う、小さいほうは奥様の多津さん。

「ご挨拶が遅れてすみません。これから少しずつブヨウさんのことを勉強していきたいと思っています。よろしくお願いいたします」と念じました。

榎本家の家紋は、丸に梅鉢。







ところで、戊辰戦争で新政府軍に思いっきり逆らったブヨウさん。
具体的には、旧幕府軍から奪った軍艦で、土方歳三などいろんな人を巻き込み北上。北海道で独立政権を打ち立てようと企んだ末、最後は五稜郭に立てこもり。
ここまでして、ブヨウさんはなぜ死罪にならずに済んだのでしょうか?

キーマンは、新政府軍参謀の黒田清隆です。

ブヨウさんが大事にしていたものに、国際法の『海律全書』という書物があります。国に役立つ知識が満載の、ものすごいものだったらしい。
いざ降伏というとき、五稜郭にまで持ち込んでいたこれをブヨウさんは敵方の黒田に託します。
「自分は死罪になるだろうけど、この貴重な本まで一緒にオダブツにしてはいけない」
こう思ったに違いありません。

それを受けて、黒田はこう思ったはず。
「やり方は違えど、国を思う気持ちは同じ。この人を死なせてはいけない」
頭を丸めてまで、ブヨウさんの助命嘆願に尽力してくれたそうです。

一方、ブヨウさんは、東京農業大学の創立者でもあります。

北海道開拓使時代の経験から、日本の発展には農業が大事、と痛感したといいます。明治24年(1891)、東京農大の前身である徳川育英会育英黌農業科を創りました。





東京農大の正門を入るとすぐ、ブヨウさんに会えます。
いつも、学生たちをあたたかく見守っています。

 
「榎本武揚」って、どんな人?
戊辰戦争の最後の最後、五稜郭に立てこもった挙句に降伏したカッコ悪い人? もしくは、幕臣だったくせに新政府の下で働く裏切り者?

そんなイメージを抱かれがちですが。ちょっと待って!
本当にそんな人なら、敵味方の垣根を越えた友情を結ぶことができるかな。学校をつくって後進の育成に励むかな。

やっぱり、ブヨウさんはよい人だと思うんです!


(信藤舞子/teamまめ)