2017年8月22日火曜日

戊辰戦争の激戦区。 少しニッチな会津紀行

会津と言えば、鶴ヶ城や磐梯山が思い浮かびますが、今回足を運んだのは奥会津。朝、東京を出て夜中に帰ってくる弾丸取材でしたが、なかなかニッチな場所を訪ねてきました。

この地方、会津の西南に位置し、戊辰戦争における幾多の戦いがあった場所です。幕末好きにはたまらないスポットかもしれませんね。当時の呼び名は「南山御役地」。南山とは、この地域の山岳地帯を指し、御役地とは、江戸幕府に年貢を納めるための領地を意味します。奥会津という名前は、もっと近代になってからつけられたものです。

中世から幕末にかけて、この地域の統治体系はとても特徴的で、271の村が存在、それらをまとめる行政的な機関は「組」と呼ばれ、19個あったと言われています。これ、いわゆる芝居の集団の「組」だったそう。当時、この地域は歌舞伎が文化の中心にあって、強い影響力を持っていました。一説によると、会津戦争のドンパチしている間でも歌舞伎をしてたという話も。


今回は会津戦争の歴史を紐解く旅だったので、宿場町もいくつか訪問。中でも若松へ続く物資調達の拠点として重用されていた大内宿は有名ですね。ここは、何度も火事で焼失し、また立て直しを繰り返したそうです。今ではすっかり観光地になってはいますが、やはり歴史を知るには重要な地点です。

街道沿いには茅葺き屋根の建物が並び、ここで商人と馬が休んでいたり、大名やお付きの者たちが泊まったりしていたそうです。


しかし、この茅葺き屋根、メンテナンスが非常に大変で、一週間に一回は必ず囲炉裏で火を起こして屋根を乾燥させなければならないのだとか。夏の暑い時期は地獄ですな。

また、道中にはこのようなお店も。会津名物の高遠そばを味わえるお店でしたが、残念ながらお休みでした。

高遠そばは、もとは長野県が発祥のそばで、たっぷりの大根おろしと焼きみそにつけてそばを食べるというもの。しかし、なぜか奥会津ではネギを箸代わりにしてそばをすすり、ネギ自体も薬味として食べてしまう習慣があるようです。

そのあたりの話を聞きたかった……。またの機会にいただこうと思います。

すごくニッチな見どころですが、途中立ち寄った下郷という町の役場は大きくて、とてもオシャレでした。どことなく、東京駅に似ていますね。

一日では回り切れなかった奥会津。実は来週も弾丸で行くことになっているので、新たな見どころはその都度SNSでもご紹介いたします! 車移動でしたが、とにかく奥会津は広かった!

(Teamまめ 髙橋健太)