2013年10月29日火曜日

個人の手で守り継がれた国宝犬山城に登城してみた

日本には名城と呼ばれるものが、いくつもある。
そんななか、国宝とされているのは、大天守の修理の様子が今拝める姫路城、ひこにゃんがよく出没する彦根城のみ、それに松本城、そして犬山城の4城のみだ。

国宝の文字に胸が高鳴る
美しき構え。天守閣にいる人は、スタッフ。
屋根の上の落し物を釣り竿で釣ろうとしていた。
この犬山城は、織田信長の叔父さん、織田信康によって天文6年(1537)によって築城されたもの。その後、江戸時代の元和4年(1618)になると、尾張藩の付家老成瀬隼人正正成が城主となり、その後、代々受け継がれていくこととなる。

城に入ってすぐ目の当たりにする城内部の石積み


階段。昔の人は着物姿でこれを登ったんだ




















城に足を踏み入れた途端、
石積みの様子に見とれ、急峻な階段を怖々上り、
そしてようやく天守閣にのぼりつめると・・・

画面には写ってないけど、名古屋方面を見れば
名古屋駅のツインタワーも見える!
手前が愛知県犬山市、
川の向こうは岐阜県各務原(かがみがはら)市

天守閣から岐阜県を望めば、岐阜城も見えるのだ。

台風直後の登城ゆえ、清らかな木曽川が濁流となってダイナミックに流れていたが、360度の大パノラマは見事の一言に尽きる。

目さえよければ、攻めてくる相手や、城下町の様子が手に取るようにわかるのだろう。
戦国時代、城が重要な拠点だったことを痛感する見晴らしだ。

さて、天守閣の内部にはこんなものが。


初代の成瀬正成から続く歴代城主の肖像画だ。
そして・・・

明治以降、城主は肖像画ではなく、写真! 
しかも、ウィスキーを片手に写すとは、なかなかの洒落モノだ、12代目!

実は犬山城、つい10年ほど前まで個人所有のお城だった。

明治になって廃藩置県となると、各国のお城は役目を終え、廃城とのお沙汰が下る。
ご多分にもれず、犬山城もその一つで、櫓や城門が壊されてしまったのだという。
さらに明治24年、濃尾震災が追い討ちをかけて、天守閣の付櫓までもがひどく壊れてしまったそうだ。
すると元城主である成瀬家が名乗りを上げ、責任をもって修理することを条件に、城が成瀬家個人の所有となったのだ。

平成の御世にも城持ち大名がいたとは、驚きもものき。

城は平成16年に財団法人が設立されるまで、ずっと成瀬家が大事に大事に、解体修理などをしながら、守り続けてきたというから頭が下がる。

内部には、意匠の数々も展示されている。
名古屋城もいいけれど、犬山城もまた、見ごたえ満点なのだ!



(佐藤さゆり/teamまめ)