2014年3月30日日曜日

三年経った東北へ。その4〜南相馬〜





福島県南相馬に、一年前、お話を聞かせて頂いた久米静香さんに会いに出かけた。

3月12日、即刻避難をした久米さん
手放せない一品。
久米さんの自宅は南相馬市小高地区にある。
 原発からドンという音とともにきのこ雲が吐き出されたのをその目で見て、原発20km圏内への立ち入り禁止により、とるものもとらず即刻避難をした。現在立ち入り禁止区域は変更になり、自宅の片付けができるようになっているが、今なお「宿泊禁止区域」だ。

「年末年始に2週間、特例宿泊が許されたんです。でもね、自分の家に宿泊するのに、車のナンバー、人数、名前を申請しないといけなかったんです」。

 昨年12月19日にようやく水道が出るようになったが、赤水や砂利まじりでとても煮炊きに使えるものではない。100軒ほどの集落のなかで、宿泊したのは久米さんを含めて2軒だけだった。猿やイノシシが住民が戻ってこない家を住処にし、人を怖がることもなく、自在に闊歩している。それでも、
「人はいなかったけれど、全然、怖くなかったんですよ」と、安堵感をにじませる。

 昨年4月から役場機能、消防、郵便、銀行、派出所が動きだし、今年4月からは診療所が再開予定となり、町への帰還のための一歩は動き出している。しかし、その実、町が置かれている現状は何も変わっていない。

 ゴミの“仮”置き場が決まった場所がある、とはいうものの、処理の目処どころか、置き場さえ決まっていない。津波のときのゴミがようやく人間の手で片付けられるようになってきた、その程度だ。

 それでも国は平成28年4月の住民の帰還を目指しているという。
「検査をしたら、放射線量は普通の人よりも多かったです。娘たちは戻らないと決めました。私も悩んで悩んで苦しかったんですが、国が暮らしていいよ、と言うので、ここで暮らします」。

 久米さんは帰還を決め、「どのくらいの人が戻ってくるかはわからないけれど、戻ってきた人々のよりどころになれば」と、NPO法人“浮舟の里”を立ち上げた。
「昔ここでは養蚕をやっていたんです。だから、蚕を飼って、糸を紡ぎ、機織りをして生計がたてられるようにしていきたい。機織り機は手に入れましたから」。
 悩み抜いた末に覚悟を決めた久米さんの声は明るく、元気だった。

蚕から糸を紡ぐ
プログラムをあれこれ企画中だ
(佐藤さゆり/teamまめ)

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