2012年8月28日火曜日

大森貝塚って、大森にあるの?

JR大森駅のホームには「日本考古学発祥の地」の碑がたっています。言わずもがな、大森貝塚にちなんだ史跡。

貝塚=古代人のゴミ捨て場。
大森貝塚は、いまから約3500~2400年前の縄文時代後期に利用されていました。貝殻だけではなく、魚や動物の骨、土器、石器などが出土しています。

この貝塚を発見したのは、アメリカからやってきた動物学者のエドワード・S・モース博士
博士は、1877年(明治10)年、日本で初めて本格的な発掘調査を行ないました。これがきっかけで、わが国に考古学というジャンルができたといいます。



さて、実際のところ、大森貝塚はどこにあるのでしょうか? 名前が示す通り、大森地区(大田区)にあるのかな。
調べてみると、なんと! 当地こそ大森貝塚の跡地である、と主張する石碑が、2つ存在するようです。


まずは、大森駅山王口のそば。
大森貝墟」と刻まれた石碑が、NTTデータ(大田区山王1)の敷地内にたっています。
1930(昭和5)年に建立されました。















もうひとつは、大森貝塚遺跡庭園(品川区大井6)にある「大森貝塚」の碑。こちらは、1929(昭和4)年に造られました。






このようなすれ違いが起きたのは、なぜ?
実は博士、発掘調査報告書に大森貝塚の正確な所在地を記していなかったのです。情報のない中、関係者の記憶をもとに導き出されたのが、それぞれの場所だった、というわけです。
ようやく決着がついたのは、1977(昭和52)年のこと。
博士が地主と交わした発掘保証金に関する文書が発見され、それに「大井村2960番地字鹿島谷」と明記されていたのです。
つまり、正解は後者の「大森貝塚」の碑のほう。

あれまあ、大森地区じゃないのかい!

なお、大森貝塚を見つけたとき、モース博士は横浜から新橋に向かう汽車のなか。
窓の外を眺めていたら、大森駅を過ぎたあたりで貝殻が堆積しているのを発見し、「貝塚にちがいない」とひらめいたそうです。
後日、博士は大森駅に降り立ち、そこから貝塚を探しに行きました。というわけで、大森貝塚は大森にはないけれど、大森駅が「日本考古学発祥の地」というのは正解。


大森貝塚遺跡庭園の貝塚跡。
 極小の貝殻が落ちてるのは、当時の名残り?




 
 


学習コーナーには、実際に大森貝塚から出土した貝層を保存、展示している。




縄文人が貝塚に捨てた貝殻に
およそ3000年の時を越え、タッチ!
萌え~!!











ところで、Dr.モース!
動いている汽車の中から貝塚を見つけたって、本当? いまと比べて走る速度がゆっくりだとしても、難しかったはず。

モース博士の本業は動物学者。専門は腕足動物、つまり貝。
何を隠そう、博士は子供の頃から筋金入りの貝ヲタクだったのだ。中学を卒業したモース少年は、製図工として働きながら、既に独学で貝の研究を始めている。
成長したモース青年は、助手、学芸員を経て、大学教授となります。明治政府のお雇い外国人として来日したときには、東京大学で、動物学の初代教授として教壇に立ちました。

好きこそ物の上手なれ。
これほどの貝ヲタなら、動いている汽車の中から貝塚を発見するという神技も可能だったのかもしれません。

蛇足ですが、エドワード・S・モースの名前は、日本美術史にも頻繁に登場します。
優れたコレクターで、当時、アメリカで巻き起こっていた日本ブームの先駆けでもありました(本業のかたわら全国各地を旅し、約5000点の古美術品を収集。のちにボストン美術館に寄贈しています)。
一説によると、モース博士は、貝塚の発掘調査を通して土器の美しさを知り、その流れで陶磁器にハマったと言われています。それが本当なら、貝ヲタのモース博士をアートに目覚めさせたのは、大森貝塚ですね!



大森貝塚おみやげ。パティスリープティエデンで入手できます。貝のかたちをした「大森貝塚マドレーヌ」は 黒ごま、抹茶など5種。








(信藤舞子/teamまめ)