2013年7月16日火曜日

強烈すぎる桃太郎ワールド「桃太郎神社」


むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
で始まる昔話といえば、ご存じ「桃太郎」。
日本人なら誰でも知っているといっても過言ではない。

そして“桃太郎伝説の地”と呼ばれる場所は、全国津々浦々にある。
有名なのは、岡山県と香川県。
岡山県ではきびだんごを県の銘菓として売り出しているほか、岡山市の愛称を「桃太郎市」としている。
また、香川県は、女木島に鬼が住んでいたかと思わせる大洞窟があり、別名「鬼ヶ島」とも呼ばれている。
このように、岡山・香川どちらも「桃太郎はうちのもんや!」と火花をバチバチと散らしている状態だ(……と思う)。

今回訪れた愛知県犬山市の桃太郎神社も、我こそは「桃太郎生誕の地」だというのだ。
神社は、国宝犬山城から木曽川沿いに3kmほどさかのぼったところにある。


桃太郎伝説の由来をはさみながら、強烈すぎる世界観が広がる境内を紹介していきたいと思う。


一の鳥居をくぐると……

現れるのが家来となるこのお三方「サル・キジ・イヌ」。

きびだんごを手に持ち、意気揚々のサル


二足歩行が違和感ありまくりのキジ


遠い目をしたイヌ

桃太郎神社の周辺には「犬山」、「猿洞(さるぼら)」、「雉ヶ棚(きじがたな)」という地名が残り、桃太郎にお供した家来たちが住んでいたところとされる。


そして次に現れるのが、物語の冒頭シーンである、桃を持ち上げるおばあちゃんの姿。
もうこの際ストーリーの順番通りに展開されていないなどという指摘はどうでもいい。



毎日川で洗濯をしていたおばあさんの足跡が岩に残っているそうで、木曽川岸からこちらに移動してきたそうだ。


そして二の鳥居目前にして、ついに……

パッカーン! と桃太郎誕生である。
鳥居をバックにしたあまりにも不可思議な光景に、ただただ息をのむばかりだ。



ちなみに、二の鳥居をくぐり石段をのぼっていくと途中にしばかりから帰って来たところと思われるおじいさんと遭遇する。


のぼりきると左手に桃の形をしたピンクの鳥居が現れる。
ピンクの鳥居というのは全国的にも非常にめずらしいそうだ。


ピンクの鳥居を取り囲むように立っているのは、またもや家来のお三方。
さらにこんな但し書きが。
「桃形鳥居をくぐれば悪は去る(サル)病は居ぬ(イヌ)災いは来じ(キジ)」

うまい!
座布団2枚ぐらいはあげたいところだ。


まだまだ広がる桃太郎ワールド

まだまだ終わらない。あんな場面も、こんな場面も再現されている。

おじいさん&おばあさんによってきびだんごが作られているところ

家来たちが見事に鬼を退治し、喜んでいるところ。
逆に鬼は泣いている。意外とナイーブな心の持ち主なのか?

背中に乗っても怒らないよ。だって改心したから

そしてついに桃太郎とボス鬼(?)の直接対決が!
どうやら桃太郎が勝利をおさめた模様。
バカ殿のように顔が真っ白。
あまり強そうに見えないのは私だけ?

勝利をおさめた一行は、鬼ヶ島から宝物を持ち帰った。
その際、宝物を積み上げて置いたとされる場所が、木曽川の対岸にある「宝積寺(ほうしゃくじ)」だ。
人々はこの地に宝物の見物にやってきては桃太郎を讃えたという。



ほかにも、桃太郎が乗った船がやってきたと見張りの鬼が仲間に知らせた場所が「今渡村」、岩陰から突然現れた鬼と桃太郎がとっくみあいをして戦ったところが後に「取組村」、鬼退治の凱旋祝いをしたところが「坂祝(さかほぎ)村」になったなど、界隈は桃太郎由来の地名も多い。



さらにディープな宝物館

境内には、「宝物館にいろいろな物が展示されているので、話の種に見に行くことをおすすめします」という旨の但し書きをよく見る。
そこまで言うのであればと、入館料200円を払って見ていくことにした。

こういう類のものに「まあまあ良かった」というものはない。
当たりかハズレかのいずれかだ。
ドキドキしながらドアを開けた。



すると、中には珍品のオンパレード!

桃太郎いろいろ

山車に乗るイヌ3匹と大きな桃
 
鬼が持っていたとされる金棒

秘宝館的な場所に必ずありますね
 
鬼の子のミイラ……


紹介したのはごくごく一部ですが、200円でこの内容いかがでしょうか?
個人的には十分楽しませていただきました。


神社を出る頃にはすっかり鬼を退治した気分に。
たまには日常を離れてこんな異世界に身を置いてみるのもいいのではないでしょうか。



桃太郎神社
愛知県犬山市栗栖字古屋敷
☎0568-61-1586

(teamまめ/香取麻衣子)



おまけ


「桃太郎からのお願い!! ゴミは持ち帰えりましょう」
桃太郎さん、間違ってますよ!




2013年7月9日火曜日

浪江の人たちに、福島県二本松で出合う

福島県浪江町といえば、東日本大震災以降、
町民すべてが避難を余儀なくされている町のひとつ。
みんな散り散りに避難しているそうだが、それでも、拠点となる場所がある。
それが、浪江町から内陸に位置する二本松だ。

大河ドラマ『八重の桜』で、二本松少年隊がふんばりを見せたあの場所だ。
その駅前、のどかな川のほとりに建つ、市民交流センターに・・・よく見ると・・・


はたはたと、幟がはためいていた! 
浪江町のB級グルメ「なみえ焼そば」が食べられる店が復活しているのだ。
 




威勢よくフライパンを振る音が、カンカンカンカーンと鳴り響き、のれんをくぐってみる。
浪江町時代は天丼やカツ丼がおいしいとも評判だったそうだが、ここは迷わず「なみえ焼そば」を。

目の前に運ばれたのは、焼そばながら、うどんじゃないの? と思うぐらい極太の麺。
麺と同量のモヤシが入って、豚の旨味も効いていて、こってりソースの匂いが芳しく、
無我夢中で完食! あぁ~~~、写真を撮るのを忘れてしまった!

店の親父さん曰く、
「震災があった年の7月にここで再開したんです。もともと釣りが大好きで、その仲間が縁づけてくれたんですよ」。
料理の腕や勘が鈍らないように、すぐに再開したいと思っていたと話す。

浪江で営んでいたときは、店は町の中心部付近にあったという。
「一時帰宅で帰ってみたら、地震、津波でもう店はめちゃくちゃ。自宅に靴を履いて上がらなくちゃならないし、猫ぐらいに大きいネズミが走り回っててね。片付け? ロクにできませんでした」。
そして、もうここには帰れない、と思ったそうだ。
片付けしたところで、すべての設備機材はもう使い物にならず、店は震災直後からの放置によって、あちこち傷み、修繕が必須なのだ。

それでも今の店には、
「浪江の懐かしい顔はもちろんだけど、新しく二本松の人にも常連さんができたんですよ」
とニッコリ。
隣町の二本松で、浪江ならではの味を今日もフライパンを振り振り、出している。

さて、この「杉乃家」さんと並んで、もう1軒、浪江のお店が営業していた。

浪江で2軒あったコーヒータイム。

このラスク、クランベリーやシナモン、黒糖などがあるのだが、サクサクと軽やかで香ばしく、後から、自然な甘みと風味がふんわりじんわりのぼってくる。そして、注文したアイスコーヒーのほろ苦い香りといったら。暑さがすーっと引いていき、鼻腔がふんわりと魅惑的なアロマに包まれて、うっとり。只者じゃないぞ!
聞けば、以前は「なみえ焼そば」をはじめ、ご飯ものからデザートまで手作りの味が評判だったそう。「ここはオーブン置くスペースがないから」と、せめても焼菓子をと、喫茶とは別の場所で作り置いているのだ。店内には、所狭しと雑貨も並ぶ。浪江出身のご婦人方が作ったもの、支援者の方が作ったものが色とりどりだ。

そして、こんな一角も。
この大堀相馬焼。
江戸・元禄時代の1690年以来、浪江伝統の雑器で、国指定の伝統的工芸品でもある。
同じ形を二つ重ねて焼く珍しい「二重(ふたえ)焼」で、手に持っても熱くなく、そしてのせた料理や入れた飲みものが冷めにくいという、スグレもの。
しかも、青ひび(貫入)が、独特の風合いも醸す。

さらには、「走り駒」の絵付けも特徴的。
狩野派の絵師で、後に幕府の御用絵師になった狩野尚伸が、相馬藩主の命で描いたものが基礎となり、勇猛果敢な馬9頭走り行く様は「馬九行久(うまくいく)」と縁起担ぎにもなっていて、
『なみえ焼そば』はこの皿で供することを常としているほど。

ところが、
「あら。珍しいの? 私たちはこれが見慣れた器だから、珍しくもないんだけど」
と笑いながらも、
「大堀相馬焼の工房もね、二本松で再開したのよ」
と、嬉しそうに教えてくれた。

残念ながら、向かう時間はなかったのだが、大堀相馬焼の伝統を継承すべく、制作を再開。
販売やもちろん、体験もできるという。

故郷・浪江をしかと、今に未来に刻むために、奮闘する人たちがいると感じた。

(teamまめ/佐藤さゆり)



2013年7月2日火曜日

富士山山開き!?


 
 西武池袋線江古田駅の真ん前にある「江古田 浅間神社」。かれこれ2カ月ほど前、大きな欅の木に誘われて立ち寄った。お参りして顔を上げたとき、なんだか拝殿後ろが気になった。なんかある!? 興味津々進んでみると富士塚だった。ほほぉ〜こんな駅前に富士塚! よっしゃ、登ってみようと近寄ると、「富士塚に登山できる期間」の立て札が。

1年のうち、たった5日しか登山できる日がないという富士塚。
こりゃ山開きに絶対来るぞ! と誓ったのだった。

 そして、待ってましたの7月1日。今や時の山となり世界中から注目を集めている本家本元と同じ日に山開き。朝9時。宮司さんや総代のみなさんが揃っての神事の後、登山口のゲードが開かれた。富士山同様、昔は白装束姿で登山する人が多かったけれど、今は、スカートにサンダルの女子大生、ビーチサンダルの子どもたち、赤ちゃんを抱っこした人、仕事途中のスーツ姿の人も、みんなが山頂を目指して登る。あっちの富士山では御法度の格好でも、ご近所の富士塚だもの、オッケーオッケー。その気軽さが富士塚の魅力。もちろん、リュック姿の人も大勢いらっしゃった。









かつてはあたり一面、茅がしげる原っぱだったそうで「茅原浅間神社」という呼称もある。

1915年(大正4)に、西武池袋線が開通する前までは、線路のずっーと南まで参道が伸びていたそうだ。


 
めざす富士塚は、高さ8m直径30m。都内におよそ60ある富士塚でも有数の規模。本家の富士山の溶岩も使われていて、国の重要有形民俗文化財に指定されている。火気厳禁はもちろん、草も摘まない、石も取らない、登山道を乱さず一歩一歩ていねいに歩くことを心して、いざ。おっと、準備体操を忘れたけど、ま、いいか。
1合目ではお猿さんがお出迎え。見上げると、さすがに山開き、かなりの人出。



 1合目から9合目まで。箱根登山鉄道のスイッチバックさながらのジグザク道もあって、楽しい〜。
矢印の案内通り登る。足もと、こりゃヒールじゃキツイでしょという箇所も。溶岩怪獣にも遭遇(右下)。

 


9合目到着。ゆっくり登って約5分。いよいよ山頂が目の前に! 

じゃーん! 山頂でござい。奥の院にお参り。登らせていただきありがとうございます!


山頂から下界を望む。高さ8mを実感。次から次へ登ってくる人がいるので、即、下山。

下山途中、天狗さんにもごあいさつ。右下は修行の滝か?
 

山開きの1日、例年よりも2割ほど多い400人もの人が登山したと、富士塚を管理する川田さん。塚を守って、ていねいに日々管理をなさっている方だ。富士塚にいわれについて、「創建はわからないのですが、931年の6月に降るはずのない雪が降って、ここにあった丘がきれいな雪化粧となったそうです。その姿が富士山に似ていると思った村の人が登ってみたら、山頂に不思議な石があって、その石を崇拝したのがはじまりといわれています」と教えてくださった。遠い遠い昔の人の富士山への思い、、、。



川田さんに「富士山には登ったことがありますか?」とたずねられた。首を横に振ると、
「ぜひとも登ってください。混んでいるし、山小屋の宿泊はちょっと大変かもしれません。いろんな人がいて、いびきやおならの音で眠れないです。でも、一度は、ぜひ!!」と強くおすすめされた。「はい、一度はぜひ!」と約束をして、江古田を後にした。


登山の後はビールでしょ。ビールを求めてうろうろしていたら、なんだかやたら富士山が目についてしかたない。そして、その富士たちが、手招きしてくるではないか!
              
                富士そばの富士山もり



               立ち食い天丼、700円。



          パーラーならビールあるか? 振り向いたら
          パチンコ&スロットだった。


          山の体力には肉重要と、80歳の三浦Y氏も、、


富士に翻弄されつつ、結局地元に戻って、
「インド富士」にて生ビール。こちらの富士は、火曜日閉山なり。



ああ、しばらく「富士」の看板を追いかけてしまいそう。


(松井一恵/teamまめ)