2013年7月9日火曜日

浪江の人たちに、福島県二本松で出合う

福島県浪江町といえば、東日本大震災以降、
町民すべてが避難を余儀なくされている町のひとつ。
みんな散り散りに避難しているそうだが、それでも、拠点となる場所がある。
それが、浪江町から内陸に位置する二本松だ。

大河ドラマ『八重の桜』で、二本松少年隊がふんばりを見せたあの場所だ。
その駅前、のどかな川のほとりに建つ、市民交流センターに・・・よく見ると・・・


はたはたと、幟がはためいていた! 
浪江町のB級グルメ「なみえ焼そば」が食べられる店が復活しているのだ。
 




威勢よくフライパンを振る音が、カンカンカンカーンと鳴り響き、のれんをくぐってみる。
浪江町時代は天丼やカツ丼がおいしいとも評判だったそうだが、ここは迷わず「なみえ焼そば」を。

目の前に運ばれたのは、焼そばながら、うどんじゃないの? と思うぐらい極太の麺。
麺と同量のモヤシが入って、豚の旨味も効いていて、こってりソースの匂いが芳しく、
無我夢中で完食! あぁ~~~、写真を撮るのを忘れてしまった!

店の親父さん曰く、
「震災があった年の7月にここで再開したんです。もともと釣りが大好きで、その仲間が縁づけてくれたんですよ」。
料理の腕や勘が鈍らないように、すぐに再開したいと思っていたと話す。

浪江で営んでいたときは、店は町の中心部付近にあったという。
「一時帰宅で帰ってみたら、地震、津波でもう店はめちゃくちゃ。自宅に靴を履いて上がらなくちゃならないし、猫ぐらいに大きいネズミが走り回っててね。片付け? ロクにできませんでした」。
そして、もうここには帰れない、と思ったそうだ。
片付けしたところで、すべての設備機材はもう使い物にならず、店は震災直後からの放置によって、あちこち傷み、修繕が必須なのだ。

それでも今の店には、
「浪江の懐かしい顔はもちろんだけど、新しく二本松の人にも常連さんができたんですよ」
とニッコリ。
隣町の二本松で、浪江ならではの味を今日もフライパンを振り振り、出している。

さて、この「杉乃家」さんと並んで、もう1軒、浪江のお店が営業していた。

浪江で2軒あったコーヒータイム。

このラスク、クランベリーやシナモン、黒糖などがあるのだが、サクサクと軽やかで香ばしく、後から、自然な甘みと風味がふんわりじんわりのぼってくる。そして、注文したアイスコーヒーのほろ苦い香りといったら。暑さがすーっと引いていき、鼻腔がふんわりと魅惑的なアロマに包まれて、うっとり。只者じゃないぞ!
聞けば、以前は「なみえ焼そば」をはじめ、ご飯ものからデザートまで手作りの味が評判だったそう。「ここはオーブン置くスペースがないから」と、せめても焼菓子をと、喫茶とは別の場所で作り置いているのだ。店内には、所狭しと雑貨も並ぶ。浪江出身のご婦人方が作ったもの、支援者の方が作ったものが色とりどりだ。

そして、こんな一角も。
この大堀相馬焼。
江戸・元禄時代の1690年以来、浪江伝統の雑器で、国指定の伝統的工芸品でもある。
同じ形を二つ重ねて焼く珍しい「二重(ふたえ)焼」で、手に持っても熱くなく、そしてのせた料理や入れた飲みものが冷めにくいという、スグレもの。
しかも、青ひび(貫入)が、独特の風合いも醸す。

さらには、「走り駒」の絵付けも特徴的。
狩野派の絵師で、後に幕府の御用絵師になった狩野尚伸が、相馬藩主の命で描いたものが基礎となり、勇猛果敢な馬9頭走り行く様は「馬九行久(うまくいく)」と縁起担ぎにもなっていて、
『なみえ焼そば』はこの皿で供することを常としているほど。

ところが、
「あら。珍しいの? 私たちはこれが見慣れた器だから、珍しくもないんだけど」
と笑いながらも、
「大堀相馬焼の工房もね、二本松で再開したのよ」
と、嬉しそうに教えてくれた。

残念ながら、向かう時間はなかったのだが、大堀相馬焼の伝統を継承すべく、制作を再開。
販売やもちろん、体験もできるという。

故郷・浪江をしかと、今に未来に刻むために、奮闘する人たちがいると感じた。

(teamまめ/佐藤さゆり)



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