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2020年3月24日火曜日

え? こんなに急峻? 天下の武将たちがこぞってのぼった岐阜の稲葉山城こと、金華山の山下り

まむしこと、斎藤道三の居城といえば、岐阜市の金華山の頂きに建つ「稲葉山城(岐阜城)」だ。若き日の明智十兵衛光秀がしょっちゅう呼び出しをくらい、そのたびに登城していたと、大河ドラマで描かれている。


標高は329m。高尾山よりも低いのだが、大河の長良川のほとりからもりもりと天に突き出していて、その急峻たるや。難攻不落とはよく言ったものだ。
山裾は現在、公園となっていて、岐阜名物、とふ田楽や五平餅を出す茶店も点在。
豆腐に味噌ダレを塗り、山椒を振った田楽だが、これがうまいんだなぁ〜。


ちょっと小腹に入れたら、いざ登城じゃ。斎藤家の幟の案内でたどれば、ロープウェイ乗り場がある。


うほほ〜〜〜い。楽チン。
ロープウェイにのると、眼下に長良川。そして、岐阜が濃尾平野と美濃の山々の境目にできた街というのがよくわかる。山がぽこっぽこっと生まれはじめる場所なのだ。

そして、金華山の山頂へ到着すれば、そこにお城が!



戦国時代の井戸跡や、道三の頃に築かれた石垣などが残り、見応えたっぷり。江戸時代前期のお城時計=大名時計、和時計も現役で時を刻んでいる。 
ちなみに金華山にはリス園もあり、野良リスがいたりもする(出会えなかったけど)。
そんな自然豊かな場所ゆえ、そのまままたロープウェイで帰るのはもったいない!
ということで、歩いて下山することに。

金華山のハイキングコースはこれだ!


ちなみに、ロープウェイ乗り場のおじさんには「もう夕暮れだし、明かりも案内も何もないから、初めてならおすすめしませんよ」と釘を刺され申した。
とはいえ、グーグル先生は「百曲登山道」ならば、30分で下界へ帰れるとおっしゃっている!
日は西へ。急げば、日没にはまだ間に合う!



さすが山城。岩盤がむき出し。そして、急坂。


行けども行けども、岩盤がむき出し。そして、急坂。
そして、コース選択に後悔の念がふとよぎる。
大昔、溶岩か沢が流れた跡なんじゃないかと思うほど、とにかくゴッツゴッツ。時折、手をつき、屈伸し、岩場や木の根のトラップに足をとられないよう、気をつけながらそろりそろりと進む。
しまいにはこんな看板も。いるのか、イノシシ!?


ふ〜。日没に間に合った!
下山とはいえ、いつもと違う筋肉を使いまくったおかげで、足がガクガクプルプル。

確かに30分ほどで下山できたものの、いやはや、最後の最後まで気が抜けないアドベンチャーな小道続き。
それでも、途中でスタスタ走り抜ける地元のおじちゃんに遭遇したのにはびっくりだ。あの人は天狗の申し子だったのだろうか?

初心者なら「めい想の小径」「七曲登山道」がおすすめだそうで、急坂も岩ゴツゴツもないと聞いたのは、下山のはるか後。
1時間ほどで老若男女関わらず登れる気持ち良い道だそうなので、一度、お試しあれ。

(teamまめ/佐藤さゆり)

2014年11月11日火曜日

白鷺城こと姫路城へ。白すぎる!? その理由とは!

現在、修復工事終盤戦にさしかかった姫路城。
内部登楼はまだできないけれど、すでにお城は姿を現している。



白鷺城との異名をもつこの城。
一説には「白すぎ城」なんてささやかれていたりもする。
けれど、けれど、この白く見えるのはなぜか、ご存知だろうか?

白い元は漆喰。
屋根瓦の目地を漆喰でつないで、白化粧しているのだ。
これが、白鷺城と呼ばれるゆえん。


すごい仕事っぷり。
真っ白い漆喰で、しかと屈強に仕上げているのがわかるわかる。

ほかにも、屋根の雨水を先端の瓦に集め、そこからしたたらせる敵水瓦(てきみずがわら)が施されているところも。

姫路城付近で出会ったおじさんたちは
「春ぐらいから毎日みとんやけど、少しづつ白さがとれてきとるわなぁ」
「こんなに白い姿は最初の1、2年だけ。あとは風雨にさらされて、見慣れた姿に戻ってしまうんやで。今のうち、今のうちに見ときなされや」
 と、口々に教えてくれた。

ちなみに、今現在も、姫路城は見所満載!
西の丸を囲むように、ぐるりと300mもある百間廊下
本多忠刻と千姫になりきることも。

美しい反りを見せる扇の勾配
江戸、明治、昭和と並ぶ三代しゃちほこ

大天守のグランドオープンは来年3月27日だ!
最後にもう一度、姫路城をとくとご覧あれ。


teamまめ/佐藤さゆり


2013年11月12日火曜日

ド直球観光! 会津若松の巻

大人になるにつれ、旅の目的が変わってくる。

「現実や、日常から離れたい」
「のんびりしたい」
「リフレッシュしたい」
「おいしいものを食べたい」

でも、子どもの頃は違った。もっと好奇心に溢れていて、そこがどんな町なのか、どんな歴史があって、どんな産業が盛んなのか知りたくてたまらなかった。
めったに来れない場所だから、チャンスは今しかない! そう思っていたんだろう。 

よし、決めた! 今回、2度目となる会津若松旅行は、あえてベタな観光スポットに行こう。


会津若松駅に降り立つと、真っ先にあかべぇが出迎えてくれた。さすがはマスコットキャラだ。
駅前には、その原型である赤べこが。


ボタンを押すと、ゆらゆら首を揺らす独特の動きをしながら歌ってくれる。この子、意外と声量があるのだ。あまりの熱唱ぶりに周りの人が振り返るので、1人だとちょっと恥ずかしい。
(でも愉快だから、またボタンを押してアンコールしてもらった。自分だけのために歌ってもらっている感じがして、ちょっとうれしい)


続いて、同じく駅前で待っていてくれたのは、白虎隊の少年たち。

白虎隊は、会津戦争に際して
16、17歳の少年を集めて結成。

幕末から明治にかけて起こった戊辰戦争は、日本各地を転戦。そのなかの代表的な局面のひとつが会津戦争で、白虎隊はその犠牲者といえる(最終的に飯盛山で集団自決)。
「東京から来ました。このたびはおじゃまします」
しんみりした気分で挨拶した。


会津若松駅から歩くこと約15分、中心街に出ると、今度は野口英世に遭遇。
英世は隣町の猪苗代出身で、青春時代を会津若松で過ごした。というわけで、ゆかりの地付近には野口英世青春広場が作られ、野口英世青春通りが走る。


広場に立つ像はかなり巨大。上から「忍耐」と言われると、ハイと頷くしかない。

左手をポケットに入れているのを見て、むかし読んだ伝記の内容を思い出した。
英世は赤ん坊のとき、囲炉裏で手を火傷し、指がくっついてしまったのだ。このシーンは、泣き叫ぶ赤ん坊の挿絵と併せて子どもだったわたしにはずいぶん衝撃だった。
左手をポケットに入れて隠す、これは英世の癖だったらしい。

のちに英世は会津若松の病院で手術を受け、左手が使えるようになるのだが、それをきっかけに医者を目指す。

ちなみに、広場に隣接する野口英世青春館にも小さな英世像がある。体型からして中年時代か。こちらは左手が使えるようになったあとみたい。



青春館には会津壹番館という喫茶店が
併設されている。ロゴマークも英世。


さて、翌日。旅のメインイベント2本立て。


一軒目は手作り体験ひろば 番匠。いざ、赤べこの絵付けを体験するのだ(飛び込みOK)。

赤べこは張り子のおもちゃで、会津の郷土玩具。
その昔、会津焼津に福満虚空蔵堂を建設したとき、境内に集まってきた赤い牛が資材の運搬を手伝ったらしい。お寺が完成すると、なんと堂前で石化。それ以来、守り神とされてきた。
という伝説が由来だ。

最初はのっぺらぼう。テーブルに白と黒の絵の具が用意されているので、それを使って好きなように模様を描いていく。


白の絵の具を入れて……、


そのうえに黒を重ねていく。

好きなように描いていいと言われたのに、なんとなくお手本通りになってしまった。自由って、なかなか難しい。
一緒に体験したちびっこは背中に水玉とお花を描いていた。ナルホド。

睫毛をつけ、女の子ということにしてみた。ささやかな抵抗。

(赤べこといえば、こんなプロジェクトも→東北復興支援 赤べこプロジェクト展)


二軒目は山田民芸工房。会津で最も古い民芸品といわれる起き上がり小法師を職人さんが手作りしている。ここもやはり、絵付けを体験できる(予約が確実だが、飛び込みも可)。

転んでも、転んでも起き上がるところから、縁起物とされている(たまに起き上がらないものもあるけど)。

こちらは真っ白ののっぺらぼうを渡され、そこにまた好きなように色を塗っていく。赤べこの反省点を生かし、お手本を無視するぞと決意。



わたしは、わたしを描いた。
わたし、転んでもちゃんと起き上がれる小法師だった。よかった。

(起き上がり小法師にもいろいろある→Okiagari Koboshi project from Europe)


1日のうちに願い事が2つも叶い、大満足。


最終日には、会津若松のランドマーク・鶴ヶ城へ。
復元されたお城だけど、ハリボテっぽくなくてきれいだ。2010年まで天守閣の屋根は黒瓦だったが、現在は、明治時代に解体される以前の赤瓦に。




そして、ここでサプライズが。会津侍 若松っつん!


一度ネットで見て以来、かなり気になる存在だった。リアル若松っつんに会えると思っていなかったので、本当にうれしかった!


ちょっと改まってベタな観光地をまわると、修学旅行気分を味わえる。数年前の旅行で武家屋敷や飯盛山も立ち寄ったが、修学旅行気分で再訪したい。


ちなみに、冒頭で

「現実や、日常から離れたい」
「のんびりしたい」
「リフレッシュしたい」
「おいしいものを食べたい」

というのは今回は重視しないと書いたが、一部撤回。
「おいしいもの」は大事だから。

どんなものを食べたかは、別でお伝えするぞ。


(信藤舞子/teamまめ)


2013年9月18日水曜日

「せいしょこさん」こと加藤清正に会いに


数年前、明治神宮にある「清正の井戸」がパワースポットとして一躍話題となった。ついには行列ができ、ピーク時は5時間待ちとも言われたものだ。

で、清正って誰?

フルネームは加藤清正。
安土桃山時代に、尾張国愛知郡(現・名古屋市)で生まれた。
豊臣秀吉に仕えて戦績を残し、秀吉没後は徳川家に引き上げられ、江戸時代に入ると肥後国熊本藩の初代藩主に。


というわけで、いざ熊本城へ!

日本史は好きでも、正直、城にはそこまで思い入れはなかった。別件のついでに訪れたとはいえ、のんきに予習もせずに出かけたことを今となっては悔やむばかり。

かっこいい!
かっこいい!
かっこいい!

不勉強なわたしにもわかった。
弧を描くようにそそり立つ石垣と、その上にそびえる天守閣。モノトーンでまとめた硬派な見た目もすてき。


なかでも、いちばんグッときたのは石垣。


カーブの具合が違う二様の石垣。その対比が本当に美しい。手前の比較的ゆるやかなのが清正時代のもので、奥の急勾配なのは、のちに城主が細川家に替わってからのもの。

清正が造った石垣は、当の熊本城からしても最大のチャームポイントらしく、公式パンフレットにも「最も優れているのが石垣です」と書かれていた。

この石垣は、勾配がゆるやか。ある程度ちゃんとした武士なら登れそうに思える。
ところが! およそ7~9mのあたりからさらに反って、目の前を塞ぐのだという。そうなったら、さすがのちゃんとした武士も限界。通称「武者返し」。
見た目も美しく、仕事もできる。なんてかっこいいんだろう!

無知なわたしにまで訴えかけてくる、清正の石垣。「清正流」と呼ばれ、江戸時代から評判だったらしい。


天守閣の最上階からの眺め。(右側のビルにくまもんが!)


さらに、本丸御殿の中も見学可。

手前は若松之間で、奥が昭君之間。
昭君之間の障壁画には、古代中国の四代美女として名高い王昭君の物語が描かれているのだそう。秀吉が亡くなり、豊臣家が傾いた時、その子である秀頼を迎えるために清正が造ったと言われている。
「昭君」は「将軍」の隠語だったとか。(てか、ダジャレ?)





熊本城の建物は復元されたものが多いが、石垣と、もうひとつ宇土櫓は当時の佇まいを残している。

ちなみに、熊本城は日本の三大名城と呼ばれている。
敷地面積は東京ドームの約21倍。茶臼山の傾斜を利用し、難攻不落の城を築いた。設計したのは、なんと清正本人。
西南戦争の際、熊本城に総攻撃をしかける薩軍は、しかしながら一兵も城内に入ることができなかったという。西郷どんは、負け惜しみに「わしは官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」と言ったとか、言わないとか。

すごいね、清正!



ちなみに、清正は治水、干拓にも熱心で、それがいまの熊本の基盤となった。熊本市民は、その成果を讃えて清正を「せいしょこさん」と呼ぶらしい。

清正公(きよまさこう)を音読みして「せいしょうこう」。それに親しみをこめて「さん」をつけた、というわけである。

せいしょこさん!
今回は時間が足りず、お城を全部見て回れなかったので、いつかきっとリベンジしにきますね。待っててね!



こちら、熊本銘菓のひとつ。老舗園田屋の「元祖朝鮮飴」。
品名は、せいしょこさんが、文禄・慶長の両役の際、この飴を朝鮮に持っていったことに由来するとのこと。
飴と言っても、固くはなく、どちらかというとモチッとしている。ほのかな甘さが、噛めば噛むほど口のなかに広がり、なんとも癖になる。



熊本銘菓には、お菓子の香梅の「武者がえし」というのもあるのだけれど、こちらは単品で購入してしまい、我慢たまらず食べてしまった。箱で買えばよかった。



というわけで、東京に戻って数日後。所用で神楽坂へ。
空き時間に立ち寄った善國寺で、なんと偶然にもせいしょこさんの名前を発見。つい、運命を感じてしまった。


こちらに収められている木彫りの毘沙門天像は、せいこしょさんの守本尊だったという一説があるそう。本殿の中で見ることができる(撮影NG)。


あと、東京には明治神宮以外にも、せいしょこさんの井戸がある。


桜田門の国会前交差点からほど近く、内堀通りの歩道脇に地味に現存。
この界隈は「桜田門外の変」のせいで井伊直弼の印象が強い。でも、井伊家がこの土地を拝領する前、江戸時代初期はせいしょこさんの屋敷があったのだ。

なんだかあちこちで立て続けにせいしょこさんの名前に出会って、もっと知りたくなった今日この頃。名古屋にも行ってみたいな!

(信藤舞子/teamまめ)

2013年2月20日水曜日

国指定特別名勝・兼六園で感じる加賀百万石ロマン


石川県金沢市にある兼六園を訪れた。水戸偕楽園や、岡山後楽園と並ぶ日本三大名園のひとつで、江戸時代に造られた有名な大名庭園だ。

名庭めぐりなんて地味な趣味ね、なんてお思いだろうか。
ところがどっこい、一見静かで落ち着いたこの場所には、一時代を築いた猛者たちの数多のロマンがぎゅっと詰まっているのだ。
女性というものはギャップに弱い、と言うけれど、それはなにも恋愛に限ったことじゃない。これらのお庭をあえて擬人化するなら、きれいで品がよくて、物静かなイメージ。なのに、そんな場所で、かつて猛々しい男たちがギトギトした野望を思い描いたりもしたのだ。
んー、ドキドキする!

ここ兼六園は、5代藩主の前田綱紀以降、加賀百万石の歴代藩主が代々想いを引き継ぎながら、長い年月をかけて完成させた。中央には、大海に見立てた大きな池。そこに、不老不死の神仙人が住むという中島をこしらえる。
加賀藩が未来永劫、ずっとずっとずーっと繁栄し続けますように。そんな願いが込められているに違いない。


園内からは市街地を見渡すことができる。人々を上から見下ろして、彼らは一体どんなことを考えていたのだろう。
大名よろしく心静かに、しかしその気分に相反するような果てしない野望を練ってみたい。なんてちらっと思ってみても、小者なわたしにはなにも浮かんでこなかった。むー。



兼六園は、とにかく広い。
敷地内には、前述の大きな池をぐるりと囲むように、名木を配した木立ちや、りっぱな築山がある。起伏に富んだ回遊式庭園をぐるぐる歩いていると、その場所、場所によって見える景色が違ってくるからおもしろい。
そのスケールたるや、さすが加賀百万石を取り仕切る前田家。

先ほどから、加賀百万石、加賀百万石と連呼しているけれど、これがどのくらいすごいかと言うと、当時の大名のなかで、いちばんたくさん石高を持っていた(儲かっていた)のが、この前田さん。外様なのに。
天下の徳川家からお嫁をもらったり、親戚関係にあったので、身分的には自分より上にあるよその大名たちよりはるかに優遇されていたらしい。

さて、話を現在に戻そう。
わたしが今回、金沢を訪れたのは、先日の2月8日。金沢では年に一度訪れるか、訪れないかという大寒波にあたり、街は吹雪いていた。
その晴れ間を縫って訪れた兼六園は、一面の雪景色で、息をのむ美しさ。
冬の風物詩「雪吊り」も見事で、胸が高鳴り、興奮しすぎて、ばかみたいに「すごい! きれい! きれい!」と叫ぶしかできなかった。



ごてごてと飾り立てるのではなく、引き算することで追求する美しさ。憧れる。
いつか、そんな生き方をしてみたいのだけれど、その前に捨てるほど財も才能も持っていないという。ああ、わたしの話なんてどうでもいい。知ったこっちゃない。


園内には、たくさんの観光客が訪れていた。あちこちで記念撮影が行われている。

見所もいっぱい。


「雁行(がんこう)橋」は、雁が列になって夕空を飛んでいくというイメージだそう。
別名を「亀甲橋」といい、この橋を渡ると長生きすると言われている。老朽化のため立ち入り禁止になっていたので、渡れなかったけど。


日本武尊さんもいらした。正式には「明治紀念之標」。
西南戦争で戦死した石川県出身の軍人さんたちの慰霊碑で、明治13年(1880)、銅像としては日本ではじめて建てられたものだと言われている。


松尾芭蕉の句碑。芭蕉さんは、本当に全国どこにでも行っているのだな。
石の表面が摩耗して、頭の文字「あ」しか読み取れないけれど、元禄2年(1689)、あの『奥の細道』の旅中に、芭蕉さんは金沢でこんな句を詠んだ。

「あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風」

字面だけをそのまま受け取ると、真っ赤な太陽が照りつけ、まだ終わりそうにない厳しい残暑のなか、ふと秋風を感じる瞬間があった、という内容。
旅先でテンションが上がっている反面、どこか寂しそうな表情をする芭蕉さんが思い浮かぶ、なんてね。


平成に入り、復元された「舟之御亭(ふなのおちん)」。そもそも5代藩主の綱紀が造らせた東屋で、その本物は明治時代に取り壊されてしまったらしい。
例年だと梅が咲き始める時期で、ここからそんな景色も見えるはずなのだけど。

兼六園は年に何度か、日が暮れてから無料開放される。
この日、ライトアップされて、昼間とはまったく違う美しさに満ちていた。池の水面に、景色が映る。もはや言葉が出ない。出るのはため息ばかり。

 
色っぽい。昼間はあんなに品がよかったのに、夜はこんなに色っぽい。
実に、実にすてきな庭園だった。
 
兼六園だけでなく、金沢という街がすてきだった。四季折々、また違う一面を見せてくれるのだろうな。
必ず再訪します! と、前田利家さんとも約束。
 

今度金沢を訪れるときは、金沢城公園のほうもじっくり回ってみたい。
 
 
(teamまめ/信藤舞子)