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2013年8月27日火曜日

北海道芦別で炭鉱鉄道遺産を探せ!

かつて日本を支えていた、石炭。
その石炭を採掘していた炭鉱は、南は九州から北は北海道まで、全国各地にあった。

そのひとつが北海道の芦別市。

夕張、美唄に次ぐ炭都だったそうで、明治30年代に始まった炭鉱の歴史は、
昭和30年代にはピークに達し、芦別駅前は大いに賑わったそうだ。

そんな芦別駅から、採掘所近くに立ち並ぶ炭鉱長屋へは、炭鉱鉄道が走っていたという。
当時を偲ぶ炭鉱鉄道の遺構があると聞き、ちょいと出かけてみることにした。

現在の芦別駅。
五重塔が旅人を出迎えるシュールな光景が印象的だ。
バブル遺産とも噂される五重塔を尻目に、駅付近を探索するが、
線路はすでに取っ払われ、何も見つけることができない。

ならばと、町のパンフレットにお目見えする
「旧三井芦別鉄道炭山橋梁」を一路、目指すことにした。


橋の上からふと見やれば、山間に橋梁が伸びている。


うほほ。これ、いい風情じゃぁあ~りませんか。でも、もうちょっと近くで見たい!
道の駅でゲットした地図を見やれば、もっと近くから見えそうだ。

現在、通行止めになっている道路だが、
「通り抜けはできないけれど、橋梁の足元までなら、徒歩でもよければいいよ」
と、見張りのおじちゃんの好意を頂戴し、少し歩かせてもらうと、
あら。なんだかかわいらしい標識が!


そして

むほほほ。
近くには案内板も設置され、ここは紛れもなく町が誇る炭鉱鉄道遺産だと知れる。

看板によると、こちら、
昭和39年から平成元年まで活躍したディーゼル機関車D501なんだそう。
炭鉱といえば、もうずいぶん前の話かと思いきや、わりとつい最近まで現役だったのだ。
そしてこの機関車は保存設置と言う形で、今も地上から最大30mもの高さにある橋梁の上で
静かに静かに時を重ねている。

「芦別に来たのかえ。ちょっと車で走れば富良野も夕張もあるよ」と
なぜか一心に富良野を勧めてくれるおじちゃんに別れを告げ、
芦別駅から富良野方面へと少し進んでみる。
やがてある西芦別地区は、かつて炭鉱長屋が立ち並んでいた場所。
ここには、駅舎だった木造家屋が残るという。


現在はリサイクル業者の倉庫となっていて、立ち入りはできない。
それでも、そこで働くおじちゃんは
「ほらほら、これ木張りなんだよ。かつてはここにホームがあってね」
と、目を細めて教えてくれた。
「トンネルもあるんだよ、知ってる?」
聞けば、芦別駅に戻る途中に、それがあるそうな。
早速、教えてもらった場所へと向かうが、ぐるぐる回れど、あらら、見つからない。

それならほれ、ここだよ。
たまたま霊園近くで草刈りしていたおじさんに教えてもらい、
一般住宅の庭先の茂みを行くと・・・
炭鉱鉄道が駆け抜けたトンネルが、口を開けて出迎えてくれた。

樹木や草に覆われ、線路もはずされているが、よくよく見ると、枕木らしきものが。
でも、知らなければここにトンネルがあることも、ここに鉄道が走っていたこともわからない。
ただ静かに、炭鉱の町があったことを伝えている。

なんというか、これが格好ええのだ。
炭鉱をまったく知らぬ私だが、懐かしさに似た郷愁をひしひしと感じてしまう。

それはもしかしたら、遺構を探しながら出会った人々が発していた、
炭鉱の歴史に対する誇りと、愛情がそう感じさせたのかもしれない。

芦別は今も、火力発電などのために使う石炭を採掘しているという。
炭鉱の歴史はどっこい、今も現在進行形なのだった。



(佐藤さゆり/teamまめ)

2013年7月23日火曜日

お触り歓迎! さっぽろの野ざらしアート


美術館に行くのが好き。

でも、たまに苦しくなるときがある。
例えばそこにあるのが可愛らしいネコの彫刻で、わたしはそれをなでたくなる。いや、そう考える前につい一歩踏み出しているかもしれない。
危ない、危ない。触ったら怒られる。

あるいは、ケースで囲われていてハナから近づけないか。どれだけピターッと接近しても、ガラスに鼻の脂をつけてくるくらいの腹いせしかできない。
尾形乾山のお星のツボ(色絵紅葉文壺)とか、お花のウツワ(色絵椿輪花向付)とかホントかわいすぎてヨダレ出そうー。なんて気持ちの昂ぶりも、当の本人(作品?)にはいっこうに伝わらないのだ。

なんだ、このツンデレめ!

こんな捨て台詞も時には出てきてしまう、それがわたしにとっての美術館。
でも、こんなわたしを受け入れてくれる子もいるの。

そう、札幌には!


パブリックアートと言うと、
アートを開放!
みたいなストイックなイメージもあるので、わたしにはうまく説明できない。

そういうのではなく、もっとざっくりお触りOKな感じがいいのだ。
札幌には、そういう子がたくさんいるのさ。


とにかく懐が深くて、広くて、甘えさせてくれるのは、モエレ沼公園。
かのイサム・ノグチが設計した公園で、遊具はもちろん、そこにある山も、池も、森も全部イサムがデザインした。



わたしたちはイサムの懐のなかで走ったり転がったり、ピクニックをしたりする。
たまには、ああ、あの三角錐は本当に美しいな、なんてしみじみしたりもするけれど、たいがいは芝生でくつろいだり、本気で眠ったりしている。

この遊具は、くぼみのところにお尻を置いて、うねりに沿うようにして寝っ転がると、よしかかるにも、足を上にほうって投げ出すにもちょうどよく落ち着くんだよね。
子どもたちは、このうえを上手に駆け回って遊んでたけど。

モエレビーチもいいよね、いつも子どもたちで賑わっている。





次は石山緑地。もともとは札幌軟石の採掘所で、それが閉鎖されたあと、しばらくずいぶん荒んでいたらしい。
そこで立ち上がったのが、CINQという5人組の造形集団。







巨石がゴロゴロ。
カドが多くてとっつきにくいのかと思いきや、







こんなお花が似合うなんて可愛らしい一面も。




ジャングルジムは外から見てるだけでいいの?





いいえ、これがなかからの景色。



この日は暑かったので水遊びが人気だったけど、遺跡みたいな広場もいい。
遊び方の手引きなんて何もない。でも、子どもたちは(時には大人たちも)ものすごく無心になって遊んでいる。
ちなみに、夜がまたいい。真っ暗で、しんと静まり返っていて、こちらが物音をたてると岩肌に反響してこだまが返ってくる。やみつき。



札幌芸術の森・野外美術館は、お触りOKアートの聖地!
朝倉響子が生んだ美女たちとベンチに相席とかできるし。
ちょうど雨が降ったあとだったので、顔が汗ばんでて、ちょっと走ってきたあとみたいだけど。




佐藤忠良の造る子どもは、いつもかわいくてなでるのガマンしてたけれど、ここぞとばかりになでなで。




本郷新の作品は、東京でもいい感じにしばしば野ざらしにされている。出会うたび、お触りさせてもらっている。
こんなのが、山に点在しているのだ。たまらん。


ああ、いろいろなでなでしたらストレスが抜けてったわー。
ふれあい満喫。



(teamまめ/信藤舞子)





2013年1月8日火曜日

北海道のお菓子パッケージ展

お菓子はおいしいだけでなく、見た目も大事。
今回は、お菓子のパッケージを通して、のほほんとしたユルかわいい北海道アートの世界をご案内いたします。

 
北海道を代表するお菓子メーカーといえば、六花亭。
植物のイラストをあしらったデザインで有名ですが、これは釧路市出身の画家・坂本直行(なおゆき/チョッコウ)さんが手がけたものです。
1915年、小学校3年生のチョッコウさんは、よく山に登っては絵を描いていたといいます。
長じて北海道大学に入ると、農業を学びます。卒業後は一度上京し、園芸会社に就職。2年後に再び戻り、紆余曲折の末、十勝・広尾郡広尾町の牧場で働くことになりました。
農民として生きてきたチョッコウさんが、ついに画業に転向したのは54歳の時。六花亭の仕事を始めたのもこの頃で、ずいぶん遅咲きでした。

チョッコウさんは、生粋の画家というより、やっぱり死ぬまで農民だったのだと思います。
ほわっとしたやさしいタッチの中に秘められた力強さ、みずみずしい生命力。これは、実際に土に触れている人でないと。それに、六花亭の合言葉は「お菓子は大地の恵みです」。
チョッコウさんの作品は、中札内村にある六花亭工場に隣接された六花の森の、坂本直行記念館で観ることができます。

ちなみに、チョッコウさんは、坂本龍馬の甥っ子の孫です。

六花セレクト缶は、中に入った26個のお菓子を食べ尽くした後も、引き続き、個包装された飴やら、チョコやら、お菓子を入れるのに使っています。






六花亭の前身は、帯広千秋庵といいます。函館市にある千秋庵総本家の支店だった札幌千秋庵から暖簾分けしました。1977年に札幌進出するにあたり、改称しています。

札幌千秋庵の紙袋デザインも秀逸です。モチーフは、北海道の花であるハマナスでしょうか。
普段からエコバッグを持ち歩き、袋はいりません、と言っているのですが、これは必ずもらいます。むしろ、少し多めにもらいたい。


「小熊のプーチャン」の鼻長クマや、「北緯43度」の少年少女は、一歩間違えば“キモチワルイ”枠に滑り落ちてしまう危ういユルさにあふれています。
 
 
 
北海道外での知名度は低いですが、洞爺湖みやげといえば、わかさいも本舗の「わかさいも」が定番です。
こちらのパッケージは、札幌が誇る漫画家のおおば比呂司さんによるもの。戦後、漫画雑誌に作品を掲載するほか、本の装丁画、商業デザインも数多く手がけました。
実は、京都銘菓おたべの三代目おたべちゃんや、静岡県ではよく見かけるホテイフーズのやきとり缶詰も、おおばさんがデザインしています。
描かれている人の、力が抜けたような表情を見ていると、つられて笑顔になってしまいます。
 

 
「わかさいも」の包装紙には、北海道の道央・道南の名所地図が描かれています。
 
札幌のキオスクで、またもやおおばさんのイラストを発見しました。こちらは岩手県の巖手屋ですが、おおばさんつながりでご紹介。
右/同じく巖手屋のかぼちゃせんべい。名前が入ってないけど、タッチが似てるからこれもおおばさんかな。左/札幌・タケダ製菓の「えぞ厚焼き」。こちらもおおばさんっぽい。




おおばさんの作品は、札幌市資料館にあるおおば比呂司記念室で観ることができます。


素朴さ満載の、北海道のお菓子パッケージ。眺めて楽しい、食べておいしい。あらまあ、なんて最高なのでしょう!

(teamまめ/信藤舞子)

2012年10月9日火曜日

北海道のローカル菓子

北海道は広い、広い、と言われますが、実際のところどれくらい広いのでしょうか。面積にして約7万7984.15 km²、実に、九州の2倍ほどになります。
九州には7つの県が含まれているので、単純計算して14県あってもおかしくない広さを北海道ひとつで占めているのです。

同じ北海道でも、これだけ広ければ地方ごとに特色はわかれます。
食文化もそう。たとえば、いわゆる北海道銘菓とよばれるのものでも、全国区でヒットしている有名な商品から、一部地域でしか販売されていない、とはいえ地元ではおなじみのローカル菓子まで様々です。



札幌市のおとなり、小樽市の『あまとう』は、昭和4年創業の洋菓子店です。

喫茶コーナーにはシャンデリアや、ベルベットの赤いソファが設えてあり、レトロでリッチなイメージ。歴史ある街並みとともに、札幌市民にとって『あまとう』は、ちょっと憧れの存在。
看板の「マロンコロン」は、手のひら大のサブレを3枚重ねにしたもので、あいだにジャム、ペーストなどをはさんでいます。側面にチョコレートをまとわせてあり、こっくりと甘い逸品です。


言わずもがな、北海道は小豆の名産地。だから、餡を使ったお菓子がたくさんあります。羊羹もしかり。

ころんと球体のほうが、「まりもの古里羊かん」。
同じようにマリモのかたちをしたようかんを総称して「まりもようかん」と呼びますが、なかでもこれ、帯広市の『南製菓』のを最もよく見かけます。
 
 

食べるときは、まず、つまんである部分を下にして持って、てっぺんを爪楊枝で刺します。


 



すると、穴のあいたところからビニールがぺろんとはがれ、ようかんがツルンとむき出しに。そのまま爪楊枝に刺して食べます。





子どもの頃、ぺろん、とはがれる様子が楽しくて、人の分まで、ぺろん、としていました。食べもしないのにたくさん、ぺろん、とするので、大人に怒られました。

一方、筒型のほうは、江差町『五勝手屋本舗』の「五勝手屋羊羹」。
こちらの食べ方も変わっていて、指で押し出し、付属の糸をぐるり巻きつけ、そのいきおいで切って食べます。

 
「谷田の日本一きびだんご」は、昔、駄菓子屋に売っていました。夕張郡栗山町の『谷田製菓』が手がけ、大正12年に誕生。

十勝産小豆を用いた餡にもち米、水飴、砂糖を合わせ、そこに北海道開拓の精神を織り込んだそうです。





どういうわけか、団子状ではなく延べ棒状です。これになじんでいると、昔話の絵本で桃太郎がまるい団子を配っているのを見ても、いまいちピンときません。

ちなみに、中身はオブラートにくるんであります。
憶測ですが、30年前の北海道には、オブラートというものをこのお菓子で知ったという少年少女が多かったのではないでしょうか。
 「オブラートに包んだような」という表現をきくと、5回に1回くらい、この「谷田の日本一きびだんご」を思い出します。





太平洋に面した根室市の名物は「オランダ煎餅」。
 
昔、煎餅が、長崎から根室に船で輸送された際、途中で湿気ってしまったそうです。それをやわらかくて食べやすい、おいしいと感じた根室の人がいて、そこから生まれたのが、こちら。





現在は、小麦粉と牛乳が使われていて、やわらかいワッフルのようです。上記のまりもようかんと共に、道東のおみやげ品としては超定番です。


まだまだ、どんどん出てくる北海道のローカル菓子。
これを集めて、いかにバリエーション豊富かを知れば、それはすなわち北海道がいかに広大かを実感することにつながるのです。


(信藤舞子/teamまめ)