3月23日、下北沢では小田急線が地下化。これによって、駅周辺の景色がだいぶ変わってしまった。いよいよ再開発の流れも早まってしまうのだろうか。
かの「開かずの踏切」は、いまや行き来自由。よく足止めをくらってイライラしたけれど、なくなったらなくなったで物足りないな、なんて。
つい立ち止まって、柵の向こうにのびる廃線を眺めたりして。
個人的には、街が変わっていくことには反対ではない。時が経てば、ある程度の変化は必要だし。
ただ切ないのは、再開発のどさくさに紛れて街の個性が失われていくこと。昔ながらの建物が取り壊されて、新しく参入してくるのがチェーン店だなんて。このままの勢いだと、あと2年もしたら、シモキタらしさなんてかけらもなくなってしまうんじゃないだろうか。いやだな。
とはいえ、これまでだって街は変わってきたはず。昔々、例えば、わたしたちが生まれるもっと前、下北沢はどんな場所だったんだろう。
現在、正式には「下北沢」という地名は存在しない。
こう呼ばれるのは、明治22年に町村合併が行われるまで、このあたり一帯が武蔵国荏原(えばら)郡下北沢村だった名残りだ。当時の村の中心は、いまよりやや南、北澤八幡神社や森巌寺、代沢小学校があるあたりだった。
北澤八幡神社。
下北沢村が開墾される前からあり、村人たちの信仰も厚かったという。
ちなみに、いまも例大祭は豪勢だし、普段から参拝客が多い。小さいながらも境内に公園があって、ちびっこがはしゃいでいる姿を見るのがいい。
北澤八幡さんのお隣り、森巌寺。
徳川家康の次男で、豊臣秀吉の養子となった結城秀康の位牌所がある由緒あるお寺さん。敷地内の所々に、いまも葵御紋が光る。
代田商店会の舗道には、土地の昔話を描いたプレートが何枚も貼られている。
そのなかに、昔々の地図もある。下北沢村をはさむようにして、代田村と下代田村があったらしい。
「ゆるやかに広がる田や畑。
小鳥たちがさえずりあそび
うさぎたちがはねまわる
のどかな森や林や丘。
そして 北沢川の流れには
小鳥たちが泳ぎ
水鳥たちが水あそびをしている。
武蔵国 荏原郡代田村は
それはそれな
静かなめぐまれた村だった。」
そして、これが北沢川の現在の姿。暗渠化されて、地上は緑道になっている。桜の名所としても有名で、時期がくると花見客がいっぱい。
緑道沿いには人工の小川が整備され、しばしば鳥もやってくる。鴨なら、しょっちゅう泳いでいる。このへんは、昔とそんなに変わらない景色なのかもしれない。
人によって定義は違うけれど、いま「下北沢」と言うと、北沢、代沢、代田の総称ということになるのだろうか。
「北沢」
世田谷には池や沢がたくさんあって、南部の深澤、奥沢、馬引沢より北にある沢ということからこの名がついたそう。
http://www.city.setagaya.lg.jp/02/2028/2045/d00120087.html
「代田」
一説によると、巨人伝説に由来しているらしい。昔このあたりにあった大きな窪地は、巨人「ダイダラボッチ」の足跡だという。
ちなみに、その「ダイダラボッチ」が登場する昔話も、プレートになっていた。
「『だいだらぼっち』の足あとは
おとなが歩いて三十歩あまり。
目のまわるほどに
大きな大きな足だとか。
でも『だいだらぼっち』は
さまざまな力をもち
やさしい心をもった人びとの
つよい見方だという。
お花(=昔話の主人公)も小さい頃から
そのはなしを聞かされていた。」
地名の裏にロマンあり。
掘り下げると、ワクワクできる種が潜んでいることが多い。
で、「代沢」はというと、代田と下北沢から一文字ずつ取って、こうなった。
ロマンがない!
どうせ住むなら、ロマンのある地名のついた場所に住みたい。
次に引越しを考えるようなことがあれば、立地条件や周辺環境と同じくらい、地名の由来を気にしてしまうと思う。(teamまめ/信藤舞子)