2012年5月22日火曜日

むかし教科書で見た「登呂遺跡」ってなに?

大人になると、むかし学校で習った単語に再び出くわすことがあります。
特に、テレビ番組のなかや、街角の案内板に多い。
「たしか、教科書にのってたなぁ。これってなんだっけ?」
「これ」がわかれば、話をもっと具体的に楽しめるのに。そんなことが多々あります。

ちゃんと勉強しておけばよかった、と今更ながら思います。
子どもの頃は、なんとなく勉強「させられている」感覚でした。もしかしたら大人になった今のほうが、より前向きに、教科書の内容をおもしろがれるのかも?



というわけで、今回の旅の目的地は静岡県の登呂遺跡。日本史の教科書にものっている、弥生時代の集落・水田跡です。
同時代の遺跡としては、佐賀県の吉野ケ里遺跡のほうが有名ですが、むかしの私は「ガリ」より「トロ」という響きがお気に入りだったな、なんて。そんなどうでもいいことをいちばん強く覚えています。とほほ。

昭和の教科書では、「縄文時代は狩猟採取」「弥生時代は稲作」と線引きされていましたが、研究が進み、現在ではそれにも諸説あるようです。
登呂遺跡は弥生後期のもの。水田の畔は先を尖らせた板を両側に打ち込むことで補強され、排水用水路が確保されていました。


1952年、国はこの登呂遺跡を特別史跡に指定。
当時の建物、水田を復元し、歴史公園として開放しました。

これは竪穴住居地面を堀りくぼめた竪穴に柱を立て、屋根を支える構造です。土や萱で屋根を葺いた建物で、縄文~弥生時代に盛んに造られました。

竪穴住居には高床倉庫が隣接しています。こちらは縄文時代にはなかった建物で、弥生人は、このなかで稲やとうもろこし、小麦などを貯蓄しました。床が高くなっているのは、ネズミなどの害を防ぎ、風通しをよくするためです。

高床倉庫の支柱、足の付け根のようなところに、ネズミ返しなるものが取り付けられています。万が一、ネズミが上ってきても、ここで跳ね返されるというわけです。

「竪穴住居」
「高床倉庫」
「ネズミ返し」
どれも教科書では太字になっていて、かつてテストのために丸暗記した単語です。
今一度、この実感とともに、覚え直し。


弥生人はマイギリ式火起こし器で火を起こしたといいます。
この日、公園にはたくさんの小学生が集まり、指導員のもと火起こし体験をしていました。
(私も参加したかった!)


それにしても、復元とはいえ、実際の場所で目の当りにすると、遥か昔のことがほんの少し近しく感じられるようになります。ロマン!
夢中になって見学していたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。


なんだか小腹がすいたわ。となれば、登呂遺跡のすぐ脇にあるやまだいち 登呂もちの家』に立ち寄りましょう。静岡名物、つきたて、ふっくらの安倍川もちを食べながらホッとひといき。そうやって弥生時代に想いを馳せるなんて、最高です。

看板には、マイギリ式火起こし器のイラストが描き込まれています。かわいい!


ちなみに、登呂遺跡には博物館が併設されているほか、日本が世界に誇る図案家、染色家の芹沢銈介を記念した美術館や、芹沢が暮らした家がたっています。



まるっと一日楽しめる登呂遺跡。大人になった今だからこそ、子どものときとはまた違う角度から見えてくるものがあるのです!
今更、なんて言わずに。ぜひ今一度。

teamまめ/信藤舞子)