特に、テレビ番組のなかや、街角の案内板に多い。
「たしか、教科書にのってたなぁ。これってなんだっけ?」
「これ」がわかれば、話をもっと具体的に楽しめるのに。そんなことが多々あります。
ちゃんと勉強しておけばよかった、と今更ながら思います。
子どもの頃は、なんとなく勉強「させられている」感覚でした。もしかしたら大人になった今のほうが、より前向きに、教科書の内容をおもしろがれるのかも?
というわけで、今回の旅の目的地は静岡県の登呂遺跡。日本史の教科書にものっている、弥生時代の集落・水田跡です。
同時代の遺跡としては、佐賀県の吉野ケ里遺跡のほうが有名ですが、むかしの私は「ガリ」より「トロ」という響きがお気に入りだったな、なんて。そんなどうでもいいことをいちばん強く覚えています。とほほ。
昭和の教科書では、「縄文時代は狩猟採取」「弥生時代は稲作」と線引きされていましたが、研究が進み、現在ではそれにも諸説あるようです。
登呂遺跡は弥生後期のもの。水田の畔は先を尖らせた板を両側に打ち込むことで補強され、排水用水路が確保されていました。
1952年、国はこの登呂遺跡を特別史跡に指定。
当時の建物、水田を復元し、歴史公園として開放しました。
竪穴住居には高床倉庫が隣接しています。こちらは縄文時代にはなかった建物で、弥生人は、このなかで稲やとうもろこし、小麦などを貯蓄しました。床が高くなっているのは、ネズミなどの害を防ぎ、風通しをよくするためです。
「高床倉庫」
「ネズミ返し」
どれも教科書では太字になっていて、かつてテストのために丸暗記した単語です。
今一度、この実感とともに、覚え直し。
この日、公園にはたくさんの小学生が集まり、指導員のもと火起こし体験をしていました。
(私も参加したかった!)
それにしても、復元とはいえ、実際の場所で目の当りにすると、遥か昔のことがほんの少し近しく感じられるようになります。ロマン!
夢中になって見学していたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
なんだか小腹がすいたわ。となれば、登呂遺跡のすぐ脇にある『やまだいち 登呂もちの家』に立ち寄りましょう。静岡名物、つきたて、ふっくらの安倍川もちを食べながらホッとひといき。そうやって弥生時代に想いを馳せるなんて、最高です。
まるっと一日楽しめる登呂遺跡。大人になった今だからこそ、子どものときとはまた違う角度から見えてくるものがあるのです!
今更、なんて言わずに。ぜひ今一度。
(teamまめ/信藤舞子)