2021年2月17日水曜日

渋滞の退屈しのぎに歌詞考察ゲームをした話

 


少し前の話だが、友人と車で出かけた帰り道、渋滞にはまった日があった。

 

黄昏時の空の色は胸を打つものがあったが、目の前でちかちか瞬くテールランプがうっとおしく、知らず深いため息がこぼれ出る。

 

そこそこ付き合いが長い僕たちは、互いに話題がなければ数時間会話がなくなることもザラだった。

この時もそうだ。今さら沈黙の時間が流れても、居心地が悪いということはない。

 

 

そんなとき、オーディオからスピッツの「ロビンソン」が流れ、友人はぽつりと「あ、これ」とつぶやいた。

そして、「この曲の歌詞、ちょっと怖いって知ってる?」と、続ける。

 

「白線流しのイメージしかない」と、僕は答えた。

この曲を初めて聴いたのは小学生の頃だ。若かりし日の長瀬智也が出演していたドラマで流れていたことは覚えているが、歌詞の意味なんて考えたこともなかった。

 

友人が言うには、一見するとこの歌詞は、主人公が別れた恋人を思い出しているものに思える。

しかし、捉えようによっては、死別した恋人の後を追おうとする主人公の心情を描いているようにも感じられるらしい。

 

なるほど、よくよく聴いてみると、確かにそうともとれる。

 

「すごいね」とつぶやくと、友人は「ふふん」と得意げな顔をしていた。

「君が発見したわけではないだろうに」と、いう言葉はぐっと飲み込む。

 

依然として、道路はぎゅうぎゅう詰めだ。

遅々として車は進んでいない。



そんなわけだから、退屈しのぎにちょうどいいと、僕たちは「スピッツの歌詞考察ゲーム」を始めることにした。

 

そして、すぐに驚愕することとなる。

歌詞を深読みすると、死を連想する表現が非常に多いのだ。しかも、一曲や二曲ではない。

 

「おい、この曲でも死んでるぞ」

「あ、やっぱり死んじゃった」

 

何曲も考察を続けている中で、いつしか僕たちの頭の中には「スピッツの歌詞では誰かしら死ぬ」という、なんとも不謹慎なイメージがまとわりつくようになった。

もちろん、勝手な思い込みだ。本当の意味は歌詞を書いた本人のみぞ知る。

 

 「もうダメだよ。そろそろウルフルズで中和しないと辛いよ」

  

考察を進めていくにつれ、沈みゆく気持ちに耐え切れなくなった僕の願いは、「意地でも死なないスピッツを探すんだ」と意固地になっている友人にあえなく却下された。

 

渋滞はまだ続いている。

歌詞考察による「死のスパイラル」も、まだ続くのか。

二重の責め苦を受けているような気分になったが、辛い時間は想像していたほど長くは続かなかった。

思いのほか早く、「死なないスピッツ」を見つけられたからだ。

 

曲は「チェリー」。

 

数回リピートしたのち、物語が見えてきた僕は、

「謎は全て解けた。これは主人公も彼女も生きている歌詞だ」

と、友人に告げた。

 

この歌も「彼女が死んだ話」と思っていた友人は、僕の主張に興味を示す。

 

「ほうほう、健太一少年の推理を聞かせてくれたまえ」

「おう、じっちゃんの名にかけて」

 

 

歌詞冒頭の「君を忘れない」の時点で、彼女はすでにここにはいないことがわかっている。

「曲がりくねった道を行く」は、人生を自分の意思で歩けない状況を暗示。

そして、「産まれたての太陽」で、いきなりのブレイクを表現し、「夢を渡る黄色い砂」が、流れるように入ってくるお金を指しているのだろう。

 

「二度と戻れない くすぐり合って転げた日」は、そのまんま。

何もなくても楽しかった過去を回想し、

 

「きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」と、いうのが、脚光を浴び、今までと比較にならないほど華やかな世界で暮らすことになるという予感。

 

このあと入るサビは、回想だ。

「『愛してる』の響きだけで 強くなれる気がしたよ」で、献身的に支える彼女の姿が見てとれ、

「ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて」は、二人で過ごす時間を何よりも大切に思っていたことを回帰しているように思えた。

 

二番以降は長くなるので、今回は割愛するが、この曲は草野マサムネ本人の体験をもとにしているのではないだろうか。

 

つまり、主人公はバンドマン。彼女は、売れない時代に支えてくれていたが、主人公が不器用に突き放し、今はそばにいない。

そして、今になってその存在の大きさを思い返し、少し胸が痛くなっている。

そういう物語なのではないだろうか。

 

 

僕の考察をすべて聞いた友人は、

「やるじゃん、物書きの意地を見せたね」

と、なぜか上から目線で褒めてきた。


僕はと言えば、 

「よかったよ、死人が出なくて」

と、割と本心で、そう思っていた。

 

そもそも、歌詞が死を暗示しているというのは僕たちの勝手な思い込みなので失礼な話だ。考察だって、合っているかどうかなんて疑わしい。

だが、自分なりの答えを導き出したことで、僕は妙な充足感を覚えていたことも事実だ。

 

 「じゃあ、ウルフルズ聴こうか。ポジティブな気持ちになりたい」

僕の切なる願いは、今度こそ受け入れられた。

どうやら、「死なないスピッツ」を見つけることができて、満足してくれたらしい。


……が、「次は『ウルフルズにネガティブな曲ひとつもない説』を立証しよう」

と、新たなゲームを提案してきた。

 

「いったい、何曲聴くつもりなんだ」

僕は、ため息まじりに答える。

 

徐々に道が空き、車の列が流れ始めた。

ウルフルズの曲をすべて検証するには、きっと時間が足りない。

 

teamまめ 高橋健太)

 

2021年2月1日月曜日

ムーンライトながらよ、永遠に…!

2021年1月22日、緊急事態宣言下で絶賛ひきこもり中の私にショッキングなニュースが飛び込んできた。

「ムーンライトながら運転終了へ」

開いた口が塞がらないという言葉があるが、しばらくその状態になったほどだ。

 

「ムーンライトながら」とは、JR東日本とJR東海が運行する夜行列車である。

夜、東京駅から乗り込めば、夜明けには岐阜県の大垣駅に着くため、関西方面への旅行に重宝した。

しかも、快速扱いのため、春・夏・冬に発売される青春18きっぷでも指定席券を買えば3000円ぐらいで乗ることができた。

18きっぷシーズンのたびに乗り、あちこち連れて行ってくれる夢のような列車だった。

私とムーンライトながらの出会いは、1996年の夏(当時高校1年生)。

友達とふたりで京都の祖父母の家に遊びに行くことになり、その時に乗ったのがムーンライトながらだ。

後から知ったのだが、ムーンライトながらは元々定期運行していた「大垣夜行」を引き継ぐ形で1996年のダイヤ改正から運行開始した。

夜中に品川駅で両親に見送られ、右も左も分からないJK2人組が乗ったムーンライトながらは衝撃的だった。

私と友人は運よくボックス席の向かい合わせで座席に座ることができたが、通路にまで人が座り込み、トイレにも行けないほどの混雑ぶり(当時は全席指定ではなかった)。

明け方の豊橋駅での停車中に貴重品以外の荷物を置いて友達とトイレへ駆け込んだことは、24年経った今でも忘れない(当時は上りも豊橋駅に停車した)。

 

そんな強烈な思い出とは裏腹に、大人になってから再び乗ったムーンライトながらは、全車指定席になり、とても快適だった。

座席もさほどリクライニングにならないし、夜中も車内は明るいままなので、苦手な人には受け付けない環境かと思うが、私は不思議なほどに爆睡できた。

電車の揺れと音を感じながら眠るのは至福のひと時だった。

 

そんなこんなで2006年から2008年にかけてはムーンライトに何回も乗車した。

“ブランド牛を食べる旅”というテーマで、ムーンライトながらで岐阜駅まで行って、高山本線で下呂の飛騨牛、戻って東海道本線に乗り換え近江八幡駅で近江牛、さらに草津線や関西本線を乗り継いで松坂駅で松坂牛を食べたりもした。

そんな無謀な旅も寝ている間にムーンライトが連れていってくれたから、金曜の夜に仕事終わりに出発すれば、日曜の夜にはまた東京に戻ってくることができた。

 

ちなみに、ムーンライトには「ムーンライトながら」以外に「ムーンライトえちご」(東京~新潟駅間、2014年5月運行終了)、「ムーンライト信州」(東京~白馬駅間)、「ムーンライト九州」(新大阪~博多駅間、2009年1月運行終了)もあった。

ムーンライト信州にはいまだ一度も乗ったことがないが、ムーンライトえちごはながらに次いでよく乗った。

朝の新潟駅に降り立って、北陸方面へ。はたまた日本海側を北上して東北方面へ。

ムーンライトに乗れば旅を自由気ままにプランニングすることができた。

 

ムーンライト九州にも一度だけ乗ったことがある。

このときは無謀にも1泊目にムーンライトながら、2泊目にムーンライト九州だ。

ムーンライト九州はながら以上に揺れが激しく、音もうるさかった。

だが私は、この時も驚くほどに爆睡できた(同行した夫は一睡もできなかったらしい…笑)。

そうこうしているうちに子どもが生まれ、ムーンライトに乗る機会がなくなってしまった。

子どもたちが夜行列車を楽しめるようになったら、また乗りたいなと思っていた矢先のムーンライトながら運行終了のお知らせ。

残念な気持ちは大きいけれど、それ以上にムーンライトとのたくさんの思い出が今も生き生きと脳裏に焼き付いている。

 

月明かりに照らされ、いろんな場所へと連れて行ってくれたムーンライトは私の中で永遠です。

(teamまめ/香取麻衣子)

2021年1月14日木曜日

大衆酒場「婆娑羅」の沢庵漬


好きで通い続けている酒場のことを書く。

三鷹駅北口徒歩1分、大衆酒場『婆娑羅』。
開業40余年の界隈大御所だ。
帰り道に通るので、ついつい寄ってしまう。

2020年4月。
早々に営業を自粛し、5月中旬に再開。
席数を減らして、しっかり対策をして客を迎え入れてくれた。
ソーシャルディスタンスを大事にするから、
いつもの半分の客数で満席になるゆえ、入れない人が続出する。

「すみません、席数減らして営業していて、今いっぱいなんです」
「すみません、3人はちょっと無理ですね。本当にごめんなさい」
「すみません、今はだめだ〜。空いたらお電話しましょうか?」

詫びる店主とスタッフを見るのは辛かった。

年末年始は「積極的休業」と称して冬休みを1月12日までと決めた。
が、再び緊急事態宣言。
2021年、結局一度も開店することなく、積極的休業が続いている。






年末の営業ラスト日に訪ねたら、
店先に、滑らかな白肌の大根が揺れていた。
店主・大澤さんが、毎年初冬に沢庵漬を仕込むのだ。

馴染み客が首を長くして待つ名物。

もちろん今シーズンも、恒例の手仕事は、丁寧に丁寧になされた。



大根は、世間のニュースとは無縁の時間を
じっくりと生き、沢庵漬は完成した。

Instagramを眺めていると、こんなメッセージが飛び込んできた。


漬け上がり、出番を待つ沢庵漬が
店頭にてんこ盛りなっているではないか。

写真を見た途端、口の中に婆娑羅の沢庵漬の味が広がり
いてもたってもいられず駆けつけた。

入り口には、婆娑羅恒例の「伝言ノート」が置かれている。
お客がメッセージを書けるノートで、
4年前に店主が骨折で休業した際に誕生した
手書きのコミュニケーションツールだ。

「いただきます」
「ありがとうございます」
「再開を待ってます」
沢庵漬を手にした客が、ひと言メッセージを残している。

残り福をいただいた。

Instagramの写真を見て蘇った味の記憶は、
いやはやなんともだらしないものだった。

実際に味わった沢庵漬は、
瞬間にガツンと刺激する力強い味。
噛み締めながら泣けてきた。

泣けるほどの沢庵漬だ

いつものコの字のカウンターで頬張りたかったと、
メッセージを書いた。

                 2021年の沢庵漬に感謝を込めて。
                           松井一恵


婆娑羅のホームページはこちら → http://www10.plala.or.jp/basara/










2020年12月4日金曜日

温かみあるタッチが心に染み入る版画家、臼田ひとみさん



 先日ご紹介した作家、木城圭美さんのご友人でもある臼田ひとみさん。ご紹介いただいた時に、このアマビエの作品のハガキをいただいて、とても印象に残っていました。



神々しくてチャーミングで、ご利益がありそうな(笑)。。。

そんな臼田さんの作品が展示されているというので、栃木県版画協会作家展2020(10月15~20日に東武大田原店にて開催されていました)へ足を運んできました。

彼女が拓版画と出合ったのは、2015年の頃。坂本富男氏の個展で拓版画に出合い、坂本氏に師事したのが製作のはじまりだったそうです。



今回の展覧会で出品されていたこちらは、「星屑の春」という作品。澄んだブルーが見ていると吸い込まれそう。





こちらは、「仲良し」という連作。「輝く太陽を背に、一輪の花と一匹の昆虫が仲良く寄り添う作品」なのだそう。よーくみると、椿にはてんとうむしが、チューリップにはミツバチが寄り添っていたんですね! 言われるまで、気づきませんでした^^; 
しかし、構図といいテーマと言いどこか茶目っ気が漂っていて、そこに惹かれます。



こちらは「前進」(赤)。のっしのっしと歩く象がこちらに向かって飛び出してきそう。臼田さんによると、「伊藤若沖の『象図』からインスパイアされた作品で、朝日に向かって前に進む力強さ、ポジティブな姿を表現」されているんですって。
なるほど~。



こんなふうにカラーバリエーションが揃っているのもインパクト大です! そもそも拓版画が木版画と何が違うのかというと、絵の具を直接版木に付けないということ。そのため、こうした色違いの作品も作りやすいのだとか。




こちらは、展覧会のものではないのですが、色違いのバリエーション見本。どこか日本画のエッセンスを感じさせつつも、モダンで斬新、素敵です!




あえてゆっくりゆっくり線がギザギザになるように彫り進めているのも、臼田さんの作品の特徴。丸刀を垂直に刺すようにして彫って、この味わい深い線を表現しています。


こちら臼田さん。大学では化学を専攻し、理系の仕事をされていたそうで、まったくの専門外の経歴で驚き。ですが、美術がお好きなお母さまが家で日本画を描かれていた影響もあって、小さなころから日本画や芸術に触れる機会が多かったとか。

「人の手で彫って、摺って作られたという温もりを感じられるようにし、「線」「面」「彫り跡」にこだわって作品を手掛けています。少しでも作品に触れた人が元気になれたり、癒されるようなものを作りたいです」とのこと。臼田さんの人柄が伝わってくるような作品に、癒されるひとときでした^^

2021年の1月31日~2月4日には、第5回日本拓版画会展(栃木県総合文化センター)での展示とのこと、注目です^^

(teamまめ/前田真紀)


2020年11月10日火曜日

埼玉県飯能市で見つけた、ストーンヘンジならぬ「ストーンヘッジ」!

 まず、この地図をご覧になっていただきたい。


埼玉県飯能市の入間川の川べりに、ストーンヘッジの文字が。
頭に浮かぶは、英国の神秘スポット、ストーンヘンジだ。
が、こちらはヘッジ。ん?

まずは、地図が指し示す場所へ。
樹木の隙間にこんもりとした丘があり、それらしきものが……。


そして、しかと書かれている『ストーンヘッジ』の文字。
こ、こ、これはどことなく、ナウマン像の牙に見えないか?
もしや、古代から連綿と続く、ミステリースポットだったのだろうか!

ふと見渡すと、森のすきまに……。ステゴザウルスの背が!


アンモナイトもいるっ!

むむ、象が枯葉に埋もれているではないかっ!


ここは、埼玉県飯能市の入間川べり。
阿須運動公園とともに整備された、古代広場だ。
誰がなんのために、古代の遺跡や生物を呼び寄せたかは不明だが、のどかな風景に突如、現る数々の姿を前に、一瞬、タイムスリップした心地に。
そして、川べりまで出れば、これまた古代から変わらぬ、真っ赤に燃え上がる空。
ここは、悠久の時の流れを感じられる場所だ。



(teamまめ/佐藤さゆり)

2020年11月4日水曜日

おでん屋のカウンターを作った話

みなさん、こんにちは。こんばんは。まめの高橋です。


まずはこちらをご覧ください。









今日は、近所に最近オープンした
おでん屋のカウンターを
DIYで作ったという話をします。




なんのことかわからないですよね。
まずは経緯からお話ししましょう。




僕は今、西武新宿線上井草駅の近くに住んでいるのですが、
隣の駅の井荻に「たこ焼き はるちゃん」という店がありました。
通称「たこはる」。



写真で見た方がわかりやすいですかね。
こんな感じです。



遊歩道沿いの小さな店
遊歩道沿いの小さな店





店頭で持ち帰ったり、店内で食べ飲みできたり、
要はたこ焼き酒場っすね。 
関西人の快活なネエチャンが店主。
名前はもちろん「はるちゃん」という、
まあ非常にわかりやすい店だったわけです。




ご存知の方も多いかと思いますが、
僕は昔阿佐ヶ谷で「うけたこ」
というたこ焼き酒場の店長を5年ほど務めておりました。
それ以前にケータリングカーで売っていた時期も入れると7年ですかね。
その間、多くのお客さまに助けられ、支えられ、
楽しく毎日を過ごしていたわけです。 




充実していた当時の高橋ですが、
ひとつだけ物足りないことがありました。 




それは、「僕もお客さんになって、うけたこを楽しみたい!」ということ。 



これ、飲食店店主あるあるなんですが、
自分の店で飲むとオフモードになれない
という悩みがあるんです。
お客さんの前でダメな姿見せられないし、
どうしても店の人の顔になるのでね。 




でも、今の僕はライターの高橋。
しかもここは井荻。
うけたこのケンちゃんを知っている人は誰もいない……。 



ここなら、長年の夢がかなうかもしれない! 
と、期待に胸膨らませて突入。
いとも容易く店のファンになってしまったチョロい高橋でした。
2年くらい前の話ですかね。 



たこ焼きの味も、店の雰囲気もうけたこにそっくり。
さらに、店主のハルさんの接客が僕のスタイルと似ている。 




外カリ中トロで出汁の効いたやつ






当時、僕は引っ越してきて間もなかったのですが、
ハルさんにも常連さんにも良くしてもらっていたおかげで、
本当に楽しく暮らすことができていました。 



余談なんですが、
僕は元たこ焼き店主であったことは内緒にしていたんです。
それ言っちゃうと、なんか気を遣われるかな、
と、的外れな気の遣い方をしてですね。


結果、すごく親切にしてもらっていたから
隠し事をしてて気持ちが苦しくなるんですよ。
そんなんで、
「実は僕、言わなきゃならないことがあるんです!」
と、罪を自白。
「アホやなあ、高橋くん」
と、ハルさんはなんも気にしてない様子でした。
いや、本当におっしゃるとおり。 


ハルさんも負けじとアホだったんだけどね



話それましたが、
そんな「たこはる」は今年の9月30日、
7年に渡る歴史に幕を下ろしました。


ハルさん曰く「やり切った」とのこと。 
僕自身もうけたこは「やり切った」と思っていたので、すごく共感。
人生の中でそう思える瞬間はなかなかないですからね。
すがすがしい気持ちでハルさんのこれからを応援したいと思いました。 




さて、前置きが長くなりましたが冒頭にあったおでん屋の話。
「たこはる」閉店が決まった頃、
「私、ここで店をやりたい!」という姉さんがいたため
後釜はすぐに見つかったんですね。 




僕はハルさん伝いにそれを聞いて、
「へえ、そうなんだ」
というくらいの気持ちだったのですが、
「でな、高橋くん。そのフォローで店に立ってもらえへんかな」
と、依頼されてびっくり。



実は「たこはる」。オーナーが別にいて、
僕も顔見知り程度なんですけど、
どういうわけかオーナーが僕を指名したらしいのです。



いまでも理由はよーわからんのですが、
えらい信用してくれていたみたいだったので、
「本業に差し支えない程度に」
という範囲でお受けしたわけですね。



とはいえ、ふたを開けてみれば新店主の姉さんは飲食未経験。
オーナーは良くも悪くも現場に託すタイプ。
最初、高橋は「言われたことをやろう」と思っていたのですが、
そもそも「高橋に何を言うべきかわからない」状態。



しかし、オープンまで1ヶ月もない。
これ、指示待ちしてたらオープン後大怪我じゃね? 




焦り始めた高橋は、自分の意見を言う方針に転換。 
その中で、狭い店のスペースをプラスに変えるため、
立ち飲みスタイルを提案しました。




しかし、ここで大問題が発生します。 


実は 「はるちゃん」時代は、
なんとコールドテーブルを卓代わりにするスタイルだったんです。 


写真をご覧ください。どんっ。 



このころは、椅子もあった




うかつにも
「これじゃ、立ち飲みできないっすよね。カウンター作らないとですよね」
と漏らした高橋。 



すかさず
「高橋くん、カウンターつくれない?」
と、切り返すオーナー。 




「作ったことはありませんが、やってみましょう」
と、高橋の悪癖である「安請け合い」が発動します。 



でもね、 今って便利な世の中で、ネットで探せば
「立ち飲みにちょうどいい高さのカウンターをDIYする方法」
って出てくるんですよね。 



それに加え、実は僕、葬儀屋で働いていたことがあって、
祭壇の構造がヒントになったんです。
組み上げとか修復とかやっていたのが今になって活きた形。
何が役に立つかわかんねーなあ。 



 そんなわけで、できあがったカウンターが、これ。 






 もう一度、beforeを見せましょう。







Afterはこれだ! もう一度見てくれ!


とにかくしつこい高橋



事前にハルさんから
「あたしがやってた痕跡は全て無くしてなあ」
と、いう注文を受けていたのですが、
それもクリアできてたようで、ハイタッチ。



正直、カウンターを作ったら満足してしまった高橋。 
「高橋をクビにしましょう! あいつには客として金を落とさせましょう」
と、自分からオーナーに進言するのがマイブームとなっております。 



幸せか不幸か、12月まではクビにならないようなので、
気が向いた方は冷やかしにきてやってください。



さりげに提灯増やしてやった


おでんは静岡風で、日本酒にぴったり!






立呑みおでん 「わく」
杉並区上井草1-24-18 
20時から23時 
高橋は火、金、日で立っています。 



 それではみなさん、また会いましょう。


(teamまめ 高橋健太)

2020年10月21日水曜日

文化芸術の秋! ぶらりとミュージアム散歩へ

ある日、googleマップでかねてから気になるミュージアムの場所を確認していたら、

「あれ、ココって、ココとも近いんだ!」

とちょっとした発見があった。

 

その発見がとてもうれしく、早速休日に子どもたちを連れて訪れてみることにした。

降り立ったのは大江戸線の牛込柳町駅。

新宿西口駅から乗るとたった3駅目なのに、都会の喧騒はどこへやらの閑静なエリア。

遠くからでもひと際目立つ白い建物が本日最初の目的地の「草間彌生美術館」。

2年半ぶりの訪問だ。

入口から水玉模様がお出迎えしてくれて、現代美術家の草間彌生さんの鮮烈な作品をたっぷりと堪能できる。

日時指定の予約制・定員制(当日券はなし)なので、自然と密も避けられてゆったりと鑑賞できるのがこのご時世にうれしい。

現代アートは独創的かつ斬新な作品が多く、見せ方も様々なので、子どもたちも飽きずに楽しむことができた。

《無限の鏡の間 - 宇宙の彼方から呼びかけてくる人類の幸福への願い》というインスタレーション作品では、 合わせ鏡の空間の中に1組ずつ案内してもらい、1組につき2分間光の世界を楽しめる。

不思議な世界に迷い込んだようで、子どもたちはこの作品がとても気に入ったようで3回も並んだ。

新宿の高層ビル群も一望できる屋上にある《天空にささげたわたしの心のすべてをかたる花たち》という立体作品は、 水玉模様で覆われた毒々しい花のオブジェで、これぞ草間さんという作品だ。

 

作品裏には制作年「2018」が書かれており、当時89歳の草間さんが作った作品だと思うと、圧巻の一言だ。

全体的に展示物は少なめだけど、作品のひとつひとつにエネルギーを感じることができて見ごたえもあった。

※現在、企画展「我々の見たこともない幻想の幻とはこの素晴らしさである」を開催中(~2021年3月29日)。

 

次に訪れたのが「漱石山房記念館」。

草間彌生美術館から徒歩2分ぐらいの場所にあり、漱石さんが40歳から亡くなるまでの9年間を過ごした家の跡地に建てられた記念館。

こここそが今回私が訪れたかった場所なのだ。

 

我が家では、次女の名前を決める際に決定打となったのが

夏目漱石さんの「菫(すみれ)ほどな小さき人に生まれたし」という俳句。

“小さくて可憐な菫の花だが、一方でアスファルトのすき間にも咲くような力強さを持っている。 もう一度生まれ変わるのならそんな菫のような人に生まれたい”という内容に魅せられた。

それ以来、私は漱石さんの大ファンなのだ。

 

館内では漱石さんの住まいを再現したコーナーや漱石さんのろう人形と写真が撮れるコーナーに加えて様々な資料展示があり、漱石さんは猫だけでなく犬も飼っていたとか、漱石さんは朝はパン派だとか、無類のジャム好きだとかいう小ネタをたくさん知ることもできて、漱石さんを少し身近に感じることもできた。
記念館の裏手には漱石公園があり、植物がたくさん植えられていて、ちょっとした休憩にもいいですよ。
草間彌生美術館も、漱石山房記念館も、ここではあまり詳しくレポートするのは止めておこうと思います。
文化芸術の秋ですもの、ぜひ現地へ足を運んでご自身で堪能してくださいね。
 
 
 
(teamまめ/香取麻衣子)