2013年5月28日火曜日

三軒茶屋の「茶屋」でお茶でもどう?

東京・世田谷区の「サンチャ」こと三軒茶屋。地名は読んで字のごとく、かつてそこに三軒の茶屋があったことに由来する。

江戸時代中頃、かねてからの旅ブームとあいまって、人々の間で大山詣が盛んになった。
大山は雨乞い祈願のメッカで、相州(今でいう神奈川県)伊勢原にある丹沢山系の霊山。江戸からだと、徒歩で3泊4日の小旅行だ。くだんの茶屋は、大山につながる大山道の付近につくられ、たくさんの旅人が休憩処として立ち寄った。

カフェやバルなら、三軒どころか、いまとなっては激戦区のサンチャだが、かつての茶屋跡はどうなっているのだろう。もしも茶屋のような場所があれば、江戸時代の旅人よろしくそこでお茶でもしたいなー。なんて思い立ち、さっそく出かけてみることに。


昔のサンチャの風景。三軒茶屋交差点の交番前に立つ案内板に描かれている。
三軒茶屋交差点。左に抜ける通りは大山への近道、新・大山道(玉川通り)。
右は本道、旧・大山道(世田谷通り)。/分岐点(カラオケ店前)に立つ道標。
 
 
現在のサンチャは、三軒茶屋交差点を支点に、三軒茶屋栄通り商店街、三軒茶屋銀座商店街、太子堂商店街が連なる一大繁華街。
かつて、信楽(しがらき)、角屋、田中屋という三軒の茶屋はこのなかにあった。茶屋とはいえ料亭のような店構えで、店内にはお座敷が設けられ、お給仕役の娘もいる料理茶屋だったという。

三軒茶屋銀座商店街の歩道にある絵タイル。

交番前の案内板によると、茶屋の場所は下の地図の通り。
https://maps.google.com/maps/ms?msid=204088979306066940939.0004ddb85202a2c2fc9a7&msa=0

まずは、信楽。いまも大山道の道標が残っているあたり、つまり交差点に面してあったらしい。……あー! カラオケ店の巨大ビルと化しているではないか。なんとも残念。
 
お次は角屋。玉川通りを少しだけ歩いて、まさに角地で発見したのは、パチンコ店が入った建物。うーん。そうなのねー、こちらもかい……。
 
最後の望み、田中屋は……。わわ! 茶沢通りを入ってすぐのところで、なんと現在も営業中。茶屋ではなく陶器を売るお店なので、お茶は飲めないけれど。それでも、まだあってくれてよかった。少しだけ気が晴れた。









三軒あった茶屋の跡地ではお茶できないことが判明し、予定を変更。どうしたものかと考えた結果、太子堂の地名の由来を辿ることに。

太子堂商店街を下北沢方面に、ずんずん、ずんずん歩いて、ランドマークのゴリラビルも通り過ぎると、「聖徳太子参道」と刻まれた道標が現れる。

うしろの薬局、「大志」と書いたのはわざと?

右折して参道に入ると、円泉寺に至る。はじまりは南北朝時代。
この境内に、聖徳太子を祀る太子堂があり、この地の由来となった。そもそもサンチャも含めた一帯が「太子堂村」と呼ばれていたのだ。

広いというわけではなが、すっきりした境内。大イチョウが圧巻。
境内には弘法大師さんの姿も。但し、太子堂の「太子」が指しているのは
「大師(だいし)」ではない。/大師さんの足元に近所のニャンコが登場。
大イチョウの下に愉快なミニ地蔵がいっぱい。なぜそんな体勢に?


 
そして、こちらがズバリ太子堂!

本堂に向かって左手にある小さなお堂。
お堂の脇で、聖徳太子さんに遭遇! お札に
なったヒゲ時代より、ずいぶん若い頃のよう。
 
 
先ほど弘法大師さんのところにいたニャンコと、境内で鬼ごっこをしたりもして。
ピンクの首輪をしたカワイコちゃんは、近所の飼い猫だった。夕方になり、ご主人に「ごはんだよ~」と呼ばれて、帰ってしまった。
 

ひとり置いてけぼりにされたので、わたしも同じく退散。

締めは、サンチャの茶屋跡でお茶できなかったことに対するリベンジを。
太子堂商店街の FusionBar Pezでサングリアを堪能。しかも、呑んべぇ仕様のLサイズ! すっかりホロ酔いで、気分よく帰路についたとさ。
もはやお茶ではない! というツッコミが聞こえてきそうだけれど、現代版三軒茶屋の、三軒のうちのひとつがここっていうことで。めでたし、めでたし。











(teamまめ/信藤舞子)