アケクレ
明けても暮れても、好きなことにまっしぐら! みちくさ的ブログ
2021年6月28日月曜日
世田谷の等々力渓谷でプチ森林浴
2021年5月11日火曜日
なまくら包丁 改造計画
我が家の包丁が久しくなまくらだ。
トマトはもちろんのこと、最近では比較的切りやすいネギの小口切りやタマネギのスライスにも事欠くようになってきた。
以前ならば、商店街に立つ包丁研ぎのおじさんに託していたのだが、おじさんの姿はここ数年、見かけていない・・・。こまった・・・。
そこで、実家の記憶を頼りに自分で包丁を研ぐことを決意。ネットで探してみたら、あるわあるわ研ぎ石が。しかも、初心者でも安心とある。口コミでも、初心者による研ぎ完了の喜びレポートが続々だ。
ということで、ポチッとしたのがこちら!
卓上でできるように研ぎ石をセットできる土台あり、包丁ガイドあり、研ぎ石の面取りができる白い石あり、そして何より、研ぎ石は2層構造! 昔、包丁研ぎを挫折した私ですら、「これならできるかも」と思わせてくれる。
まず、研ぎ石を5分ほど。しっかし、水に浸ける。
石から泡が出なくなり、しっかり水分を含んでしっとりしたら、土台にセットする。
「1000」と「6000」というのは、いわゆる粒子の違い。
茶色い「1000」の研ぎ石は粒子が粗いため、ザクザクと研ぐ時に使うとか。
対して白い「6000」はキメ細かいため、仕上げに使うといいそうだ。
セット完了。
包丁も水に濡らし、早速、研いでみる。
シャカシャカシャカ。シャカシャカシャカ。
包丁ガイドが絶妙な角度を保ち続けてくれるため、力を込めることも、刃こぼれすることもなく、すんなりと研げる。これは、革命ですぞ、おっかさん!
ちなみに包丁の持ち方は、プロの動画を見てみると、写真が間違えていることが一目瞭然。包丁は普通に右手に持って、背の部分に人差し指を沿わせ、親指で刃と柄の境に固定するといいそうだ。
最初は奥から手前に研ぎ、刃を返して手前から奥へと研ぐ。
そして、白い「6000」で仕上げの研ぎをすると、1回目より2回目の方が格段に綺麗に研げた!
仕上げた包丁で、野菜を切ってみると、スパーーーーーン!
ぐにゃぐにゃに切っていたトマトもスパッ!
「おぉー!」と、心の中で大歓声が沸き起こる。
あまりの切れ味に、つい指を切ってしまったのはご愛嬌。
最後に、研ぎ石の面取りも忘れずに。
(佐藤さゆり/teamまめ)
2021年3月31日水曜日
吉祥寺パルコ屋上のZINEフェスで、ジ〜ン!
2021年2月24日水曜日
食べる花粉症対策。オトナ文旦、いただきます!
ここ数年、なりを潜めていた私の目鼻センサーが、まだ2月というのに感知した。
どうやら、花粉の季節がやってきたようだ。
いつもなら、早くて3月に入ってからなのに、今年は暖かさのせいか、早くないか? そして、今年は多いのか?
花粉症になったら、どうするか。
目の洗浄、マスク、メガネはマストだが、どうやら実は、文旦もいいという。折よく、目の前に今が旬の文旦が。
2021年2月17日水曜日
渋滞の退屈しのぎに歌詞考察ゲームをした話
少し前の話だが、友人と車で出かけた帰り道、渋滞にはまった日があった。
黄昏時の空の色は胸を打つものがあったが、目の前でちかちか瞬くテールランプがうっとおしく、知らず深いため息がこぼれ出る。
そこそこ付き合いが長い僕たちは、互いに話題がなければ数時間会話がなくなることもザラだった。
この時もそうだ。今さら沈黙の時間が流れても、居心地が悪いということはない。
そんなとき、オーディオからスピッツの「ロビンソン」が流れ、友人はぽつりと「あ、これ」とつぶやいた。
そして、「この曲の歌詞、ちょっと怖いって知ってる?」と、続ける。
「白線流しのイメージしかない」と、僕は答えた。
この曲を初めて聴いたのは小学生の頃だ。若かりし日の長瀬智也が出演していたドラマで流れていたことは覚えているが、歌詞の意味なんて考えたこともなかった。
友人が言うには、一見するとこの歌詞は、主人公が別れた恋人を思い出しているものに思える。
しかし、捉えようによっては、死別した恋人の後を追おうとする主人公の心情を描いているようにも感じられるらしい。
なるほど、よくよく聴いてみると、確かにそうともとれる。
「すごいね」とつぶやくと、友人は「ふふん」と得意げな顔をしていた。
「君が発見したわけではないだろうに」と、いう言葉はぐっと飲み込む。
依然として、道路はぎゅうぎゅう詰めだ。
遅々として車は進んでいない。
そんなわけだから、退屈しのぎにちょうどいいと、僕たちは「スピッツの歌詞考察ゲーム」を始めることにした。
そして、すぐに驚愕することとなる。
歌詞を深読みすると、死を連想する表現が非常に多いのだ。しかも、一曲や二曲ではない。
「おい、この曲でも死んでるぞ」
「あ、やっぱり死んじゃった」
何曲も考察を続けている中で、いつしか僕たちの頭の中には「スピッツの歌詞では誰かしら死ぬ」という、なんとも不謹慎なイメージがまとわりつくようになった。
もちろん、勝手な思い込みだ。本当の意味は歌詞を書いた本人のみぞ知る。
考察を進めていくにつれ、沈みゆく気持ちに耐え切れなくなった僕の願いは、「意地でも死なないスピッツを探すんだ」と意固地になっている友人にあえなく却下された。
渋滞はまだ続いている。
歌詞考察による「死のスパイラル」も、まだ続くのか。
二重の責め苦を受けているような気分になったが、辛い時間は想像していたほど長くは続かなかった。
思いのほか早く、「死なないスピッツ」を見つけられたからだ。
曲は「チェリー」。
数回リピートしたのち、物語が見えてきた僕は、
「謎は全て解けた。これは主人公も彼女も生きている歌詞だ」
と、友人に告げた。
この歌も「彼女が死んだ話」と思っていた友人は、僕の主張に興味を示す。
「ほうほう、健太一少年の推理を聞かせてくれたまえ」
「おう、じっちゃんの名にかけて」
歌詞冒頭の「君を忘れない」の時点で、彼女はすでにここにはいないことがわかっている。
「曲がりくねった道を行く」は、人生を自分の意思で歩けない状況を暗示。
そして、「産まれたての太陽」で、いきなりのブレイクを表現し、「夢を渡る黄色い砂」が、流れるように入ってくるお金を指しているのだろう。
「二度と戻れない くすぐり合って転げた日」は、そのまんま。
何もなくても楽しかった過去を回想し、
「きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」と、いうのが、脚光を浴び、今までと比較にならないほど華やかな世界で暮らすことになるという予感。
このあと入るサビは、回想だ。
「『愛してる』の響きだけで 強くなれる気がしたよ」で、献身的に支える彼女の姿が見てとれ、
「ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて」は、二人で過ごす時間を何よりも大切に思っていたことを回帰しているように思えた。
二番以降は長くなるので、今回は割愛するが、この曲は草野マサムネ本人の体験をもとにしているのではないだろうか。
つまり、主人公はバンドマン。彼女は、売れない時代に支えてくれていたが、主人公が不器用に突き放し、今はそばにいない。
そして、今になってその存在の大きさを思い返し、少し胸が痛くなっている。
そういう物語なのではないだろうか。
僕の考察をすべて聞いた友人は、
「やるじゃん、物書きの意地を見せたね」
と、なぜか上から目線で褒めてきた。
「よかったよ、死人が出なくて」
と、割と本心で、そう思っていた。
そもそも、歌詞が死を暗示しているというのは僕たちの勝手な思い込みなので失礼な話だ。考察だって、合っているかどうかなんて疑わしい。
だが、自分なりの答えを導き出したことで、僕は妙な充足感を覚えていたことも事実だ。
僕の切なる願いは、今度こそ受け入れられた。
どうやら、「死なないスピッツ」を見つけることができて、満足してくれたらしい。
……が、「次は『ウルフルズにネガティブな曲ひとつもない説』を立証しよう」
と、新たなゲームを提案してきた。
「いったい、何曲聴くつもりなんだ」
僕は、ため息まじりに答える。
徐々に道が空き、車の列が流れ始めた。
ウルフルズの曲をすべて検証するには、きっと時間が足りない。
(teamまめ 高橋健太)
2021年2月1日月曜日
ムーンライトながらよ、永遠に…!
2021年1月22日、緊急事態宣言下で絶賛ひきこもり中の私にショッキングなニュースが飛び込んできた。
「ムーンライトながら運転終了へ」
開いた口が塞がらないという言葉があるが、しばらくその状態になったほどだ。
「ムーンライトながら」とは、JR東日本とJR東海が運行する夜行列車である。
夜、東京駅から乗り込めば、夜明けには岐阜県の大垣駅に着くため、関西方面への旅行に重宝した。
しかも、快速扱いのため、春・夏・冬に発売される青春18きっぷでも指定席券を買えば3000円ぐらいで乗ることができた。
18きっぷシーズンのたびに乗り、あちこち連れて行ってくれる夢のような列車だった。
私とムーンライトながらの出会いは、1996年の夏(当時高校1年生)。
友達とふたりで京都の祖父母の家に遊びに行くことになり、その時に乗ったのがムーンライトながらだ。
後から知ったのだが、ムーンライトながらは元々定期運行していた「大垣夜行」を引き継ぐ形で1996年のダイヤ改正から運行開始した。
夜中に品川駅で両親に見送られ、右も左も分からないJK2人組が乗ったムーンライトながらは衝撃的だった。
私と友人は運よくボックス席の向かい合わせで座席に座ることができたが、通路にまで人が座り込み、トイレにも行けないほどの混雑ぶり(当時は全席指定ではなかった)。
明け方の豊橋駅での停車中に貴重品以外の荷物を置いて友達とトイレへ駆け込んだことは、24年経った今でも忘れない(当時は上りも豊橋駅に停車した)。
そんな強烈な思い出とは裏腹に、大人になってから再び乗ったムーンライトながらは、全車指定席になり、とても快適だった。
座席もさほどリクライニングにならないし、夜中も車内は明るいままなので、苦手な人には受け付けない環境かと思うが、私は不思議なほどに爆睡できた。
電車の揺れと音を感じながら眠るのは至福のひと時だった。
そんなこんなで2006年から2008年にかけてはムーンライトに何回も乗車した。
“ブランド牛を食べる旅”というテーマで、ムーンライトながらで岐阜駅まで行って、高山本線で下呂の飛騨牛、戻って東海道本線に乗り換え近江八幡駅で近江牛、さらに草津線や関西本線を乗り継いで松坂駅で松坂牛を食べたりもした。
そんな無謀な旅も寝ている間にムーンライトが連れていってくれたから、金曜の夜に仕事終わりに出発すれば、日曜の夜にはまた東京に戻ってくることができた。
ちなみに、ムーンライトには「ムーンライトながら」以外に「ムーンライトえちご」(東京~新潟駅間、2014年5月運行終了)、「ムーンライト信州」(東京~白馬駅間)、「ムーンライト九州」(新大阪~博多駅間、2009年1月運行終了)もあった。
ムーンライト信州にはいまだ一度も乗ったことがないが、ムーンライトえちごはながらに次いでよく乗った。
朝の新潟駅に降り立って、北陸方面へ。はたまた日本海側を北上して東北方面へ。
ムーンライトに乗れば旅を自由気ままにプランニングすることができた。
ムーンライト九州にも一度だけ乗ったことがある。
このときは無謀にも1泊目にムーンライトながら、2泊目にムーンライト九州だ。
ムーンライト九州はながら以上に揺れが激しく、音もうるさかった。
だが私は、この時も驚くほどに爆睡できた(同行した夫は一睡もできなかったらしい…笑)。
そうこうしているうちに子どもが生まれ、ムーンライトに乗る機会がなくなってしまった。
子どもたちが夜行列車を楽しめるようになったら、また乗りたいなと思っていた矢先のムーンライトながら運行終了のお知らせ。
残念な気持ちは大きいけれど、それ以上にムーンライトとのたくさんの思い出が今も生き生きと脳裏に焼き付いている。
月明かりに照らされ、いろんな場所へと連れて行ってくれたムーンライトは私の中で永遠です。
(teamまめ/香取麻衣子)