2021年1月22日、緊急事態宣言下で絶賛ひきこもり中の私にショッキングなニュースが飛び込んできた。
「ムーンライトながら運転終了へ」
開いた口が塞がらないという言葉があるが、しばらくその状態になったほどだ。
「ムーンライトながら」とは、JR東日本とJR東海が運行する夜行列車である。
夜、東京駅から乗り込めば、夜明けには岐阜県の大垣駅に着くため、関西方面への旅行に重宝した。
しかも、快速扱いのため、春・夏・冬に発売される青春18きっぷでも指定席券を買えば3000円ぐらいで乗ることができた。
18きっぷシーズンのたびに乗り、あちこち連れて行ってくれる夢のような列車だった。
私とムーンライトながらの出会いは、1996年の夏(当時高校1年生)。
友達とふたりで京都の祖父母の家に遊びに行くことになり、その時に乗ったのがムーンライトながらだ。
後から知ったのだが、ムーンライトながらは元々定期運行していた「大垣夜行」を引き継ぐ形で1996年のダイヤ改正から運行開始した。
夜中に品川駅で両親に見送られ、右も左も分からないJK2人組が乗ったムーンライトながらは衝撃的だった。
私と友人は運よくボックス席の向かい合わせで座席に座ることができたが、通路にまで人が座り込み、トイレにも行けないほどの混雑ぶり(当時は全席指定ではなかった)。
明け方の豊橋駅での停車中に貴重品以外の荷物を置いて友達とトイレへ駆け込んだことは、24年経った今でも忘れない(当時は上りも豊橋駅に停車した)。
そんな強烈な思い出とは裏腹に、大人になってから再び乗ったムーンライトながらは、全車指定席になり、とても快適だった。
座席もさほどリクライニングにならないし、夜中も車内は明るいままなので、苦手な人には受け付けない環境かと思うが、私は不思議なほどに爆睡できた。
電車の揺れと音を感じながら眠るのは至福のひと時だった。
そんなこんなで2006年から2008年にかけてはムーンライトに何回も乗車した。
“ブランド牛を食べる旅”というテーマで、ムーンライトながらで岐阜駅まで行って、高山本線で下呂の飛騨牛、戻って東海道本線に乗り換え近江八幡駅で近江牛、さらに草津線や関西本線を乗り継いで松坂駅で松坂牛を食べたりもした。
そんな無謀な旅も寝ている間にムーンライトが連れていってくれたから、金曜の夜に仕事終わりに出発すれば、日曜の夜にはまた東京に戻ってくることができた。
ちなみに、ムーンライトには「ムーンライトながら」以外に「ムーンライトえちご」(東京~新潟駅間、2014年5月運行終了)、「ムーンライト信州」(東京~白馬駅間)、「ムーンライト九州」(新大阪~博多駅間、2009年1月運行終了)もあった。
ムーンライト信州にはいまだ一度も乗ったことがないが、ムーンライトえちごはながらに次いでよく乗った。
朝の新潟駅に降り立って、北陸方面へ。はたまた日本海側を北上して東北方面へ。
ムーンライトに乗れば旅を自由気ままにプランニングすることができた。
ムーンライト九州にも一度だけ乗ったことがある。
このときは無謀にも1泊目にムーンライトながら、2泊目にムーンライト九州だ。
ムーンライト九州はながら以上に揺れが激しく、音もうるさかった。
だが私は、この時も驚くほどに爆睡できた(同行した夫は一睡もできなかったらしい…笑)。
そうこうしているうちに子どもが生まれ、ムーンライトに乗る機会がなくなってしまった。
子どもたちが夜行列車を楽しめるようになったら、また乗りたいなと思っていた矢先のムーンライトながら運行終了のお知らせ。
残念な気持ちは大きいけれど、それ以上にムーンライトとのたくさんの思い出が今も生き生きと脳裏に焼き付いている。
月明かりに照らされ、いろんな場所へと連れて行ってくれたムーンライトは私の中で永遠です。
(teamまめ/香取麻衣子)