偉業を讃えられ、銅像になった人々。これを鑑賞するとき、なんとなく、その人の功績ばかり気になりがちだ。
けれども最近、もうひとつの楽しみ方を知った。
偉人さんの銅像には、著名な彫刻家が手がけたものが多数存在する。彼らは制作にあたり、その人となりをひと通り勉強するのだという。そして、そこからインスピレーションを得て、どんなポーズに、どんな表情にしようか、どんな服を着せようか構想に構想を重ねる。
芸術家のフィルターをくぐって実体化した偉人さんは、教科書に書かれている人柄とは少し違って見える。教科書では諸悪の根源のように書かれている人も、地元では意外と愛されていたり。彫刻家がそこにスポットを当てれば、その人は実はやさしい人だった、とわかる。
教科書では、戊辰戦争を長引かせたうえ、旧幕府から新政府に寝返った裏切り者と烙印を押されている榎本武揚。
しかしその一方で、北海道の年配の人のなかには、彼のことを親しみを込めて「ブヨウさん」と呼ぶ人が多い。何を隠そう、このブヨウさんは北海道開拓の功労者。寝返ったのではなく、ブヨウさんの人柄と才覚にどうしようもなく惚れ込んだ敵軍の幹部が、みんなの反対を押し切って引き抜いたという説もあるくらいだ。
ブヨウさんは、北海道江別市に農場をつくった。現在、その跡地は榎本公園として開放されている。敷地内に高くそびえるのは、北海道を代表する彫刻家・佐藤忠良による榎本武揚像。
台座があまりに高いので、表情が見えにくいが、腕を掲げた姿は凛としている。裏切り者のようなズルさは漂っていない。
ズームすると、こんな感じ。馬が短足だ。道産子(北海道和種)なのかな。
前出の、旧幕府の海軍副総裁だったブヨウさんを引き抜いた人というのが、新政府軍を指揮した黒田清隆。戦後は開拓長官として北海道に赴任し、ブヨウさんを部下に登用した。
彼は、札幌市の大通公園にいる。
ロングコートの前を開けて、さらりと着こなすおしゃれさん。残されている写真と比べると、多少しゅっとしている。そんなふうには見えないけど、実際は酒乱だったらしい……。
とはいえ、ブヨウさん擁護派としては、ここを通るたびに尊敬の念を飛ばさずにはいられない。
作者は雨宮次郎という学芸大の教授や日展顧問を務めた人。
ところ変わって、福島県二本松市。駅前に、高村光太郎著『智恵子抄』で知られる長沼智恵子がいる。
智恵子はこの地で生まれ、上京。光太郎に向かって「東京には空がない」と嘆き、「阿多多羅山(安達太良山)の上に出ている青い空が本当の空だ」と言ったそうだ。銅像になった智恵子が指差すのは、まさにその空(撮影した日はあいにくの曇り空だったけれど……)。
聡明な表情。のちに精神病に冒されてしまうけれど、独自の思想を持つ、知的な人だったんだろうな。
制作したのは橋本堅太郎という二本松市ゆかりの彫刻家。
彼の作品は二本松市内のあちこちにある。同じ駅前には、戊辰戦争に出陣した二本松隊士の像も。
この少年は成田才次郎といって、二本松藩伝統の剣法“突き”で長州藩の将を倒したという。
確かに、まなざしに強さが感じられる。
『アケクレ』には既出だが、国際フォーラムなる太田道灌像はとてもいい。武将でありながら、歌を詠む達人だったそうで、巨匠・朝倉文夫が手がけたこの像の表情には、花鳥風月を愛する人柄が出ている。
ああ、銅像。果てしなく奥が深い。
(teamまめ/信藤舞子)