その石炭を採掘していた炭鉱は、南は九州から北は北海道まで、全国各地にあった。
そのひとつが北海道の芦別市。
夕張、美唄に次ぐ炭都だったそうで、明治30年代に始まった炭鉱の歴史は、
昭和30年代にはピークに達し、芦別駅前は大いに賑わったそうだ。
そんな芦別駅から、採掘所近くに立ち並ぶ炭鉱長屋へは、炭鉱鉄道が走っていたという。
当時を偲ぶ炭鉱鉄道の遺構があると聞き、ちょいと出かけてみることにした。
現在の芦別駅。 五重塔が旅人を出迎えるシュールな光景が印象的だ。 |
バブル遺産とも噂される五重塔を尻目に、駅付近を探索するが、
線路はすでに取っ払われ、何も見つけることができない。
ならばと、町のパンフレットにお目見えする
「旧三井芦別鉄道炭山橋梁」を一路、目指すことにした。
橋の上からふと見やれば、山間に橋梁が伸びている。
うほほ。これ、いい風情じゃぁあ~りませんか。でも、もうちょっと近くで見たい!
道の駅でゲットした地図を見やれば、もっと近くから見えそうだ。
現在、通行止めになっている道路だが、
「通り抜けはできないけれど、橋梁の足元までなら、徒歩でもよければいいよ」
と、見張りのおじちゃんの好意を頂戴し、少し歩かせてもらうと、
あら。なんだかかわいらしい標識が!
そして
むほほほ。
近くには案内板も設置され、ここは紛れもなく町が誇る炭鉱鉄道遺産だと知れる。
看板によると、こちら、
昭和39年から平成元年まで活躍したディーゼル機関車D501なんだそう。
炭鉱といえば、もうずいぶん前の話かと思いきや、わりとつい最近まで現役だったのだ。
そしてこの機関車は保存設置と言う形で、今も地上から最大30mもの高さにある橋梁の上で
静かに静かに時を重ねている。
「芦別に来たのかえ。ちょっと車で走れば富良野も夕張もあるよ」と
なぜか一心に富良野を勧めてくれるおじちゃんに別れを告げ、
芦別駅から富良野方面へと少し進んでみる。
やがてある西芦別地区は、かつて炭鉱長屋が立ち並んでいた場所。
ここには、駅舎だった木造家屋が残るという。
現在はリサイクル業者の倉庫となっていて、立ち入りはできない。
それでも、そこで働くおじちゃんは
「ほらほら、これ木張りなんだよ。かつてはここにホームがあってね」
と、目を細めて教えてくれた。
「トンネルもあるんだよ、知ってる?」
聞けば、芦別駅に戻る途中に、それがあるそうな。
早速、教えてもらった場所へと向かうが、ぐるぐる回れど、あらら、見つからない。
それならほれ、ここだよ。
たまたま霊園近くで草刈りしていたおじさんに教えてもらい、
一般住宅の庭先の茂みを行くと・・・
炭鉱鉄道が駆け抜けたトンネルが、口を開けて出迎えてくれた。
樹木や草に覆われ、線路もはずされているが、よくよく見ると、枕木らしきものが。
でも、知らなければここにトンネルがあることも、ここに鉄道が走っていたこともわからない。
ただ静かに、炭鉱の町があったことを伝えている。
なんというか、これが格好ええのだ。
炭鉱をまったく知らぬ私だが、懐かしさに似た郷愁をひしひしと感じてしまう。
それはもしかしたら、遺構を探しながら出会った人々が発していた、
炭鉱の歴史に対する誇りと、愛情がそう感じさせたのかもしれない。
芦別は今も、火力発電などのために使う石炭を採掘しているという。
炭鉱の歴史はどっこい、今も現在進行形なのだった。
(佐藤さゆり/teamまめ)